新元号へ走り出す、「平成」の観光列車の勝算 「炭鉱」から「観光」へデザインで生き残り模索

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田川や直方(のおがた)は石炭産業が中心だった町だから、人が集まるような産業やブランド化した農産物があるわけでもない。

「ことこと列車」の車内には沿線の名物の展示も。左側の黒い塊はホンモノの石炭だ(筆者撮影)

「ことこと列車」ではクルーの制服に久留米絣、インテリアに大川組子が使われているが、これとて筑豊ではなく“筑後”の名物。このあたりに苦しさを感じなくもない。

「それに、沿線の方も皆さん福岡市のほうを向いていますからね。そうなると、どうしたってうちの路線には乗ってくれない。JRや高速バスで福岡まで行けるわけですから。そうしたところも悩みの種のひとつです」(河合社長)

地元をどれだけ巻き込めるか

そうした中での、「ことこと列車」のデビュー。観光列車の楽しみは車両の豪華さや車窓、料理だけではない。

かの「ななつ星 in 九州」もそうであるように、リピーターを増やすためには沿線の人たちがどれだけ歓迎してくれるか、交流を深めることができるかも大きな要素だ。

地元では「みつあんきょ」とも呼ばれる内田三連橋梁を走る田川線。1895年に建設された古い橋梁で、国の登録有形文化財(筆者撮影)

河合社長も「『ことこと列車』が走ればいいわけではない。地元の方たちをどれだけ巻き込めるか。そして福岡や北九州にも広がる大きな効果にも期待したい」と話す。

平成の始まりに、「平成」の名を冠してスタートを切った平成筑豊鉄道。「次の時代も頑張っていけるように、『ことこと列車』がそのいいきっかけになれば」(河合社長)と言うように、平成の最後にかつての“炭鉱の鉄道”が“観光の鉄道”への道を模索する。

平成筑豊鉄道に乗ると感じるいくばくかの侘びしさは、炭都の鉄道としての役割をとうの昔に終えたことによる。

侘びしさを超えた新しい役割と価値を、新しい時代に作り出す――。筑豊の小さなローカル線の挑戦は、これから正念場を迎える。

鼠入 昌史 ライター

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そいり まさし / Masashi Soiri

週刊誌・月刊誌などを中心に野球、歴史、鉄道などのジャンルで活躍中。共著に『特急・急行 トレインマーク図鑑』(双葉社)。

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