「ボンネット型」特急は今も斬新なデザインだ 高速電車の元祖、「鼻」の中には何がある?
1972年には全国の主要幹線の電化がほぼ完成して全国に特急電車網が広がり、運転本数の多い列車には「L特急」の名が付けられた。この時期から新たに製造される特急の先頭車はボンネット型から平面的な形に代わり、寝台兼用特急電車の583系なども合わせ、特急車両のバリエーションが豊かになった。この時期がボンネット型特急の最も活躍した時代ではなかろうか。
また1978年のダイヤ改正以降、特急電車のヘッドマークが文字だけのデザインから絵入りに変更されていった。ただ、私の好みから言えば、ボンネット特急のヘッドマークは「絵入り」のものより、漢字、またはひらがなにローマ字のものがふさわしかったような気がしてならない。
国鉄からJRへ、そして終焉
その後、1980年代に入ると東北・上越新幹線の開業によって東日本の在来線特急は多くが廃止となり、1987年の国鉄分割民営化後はJR各社による独自開発の特急車両が相次いで投入された。JR化後は両サイドに輝く「JNR」マークをはがされ、塗装も大幅に変更されるなどしたボンネット型車両も多かった。
関東地方を走る特急でボンネット型が最後まで残ったのは、常磐線の「ひたち」だった。ボンネット型が数多く使われていた「雷鳥」も「サンダーバード」681・683系に置き換えが進み、ほかの特急でも国鉄時代の車両は次々と姿を消していった。
ボンネット型特急電車が定期運用で最後まで走っていたのは上野―金沢間の急行「能登」で、2010年をもって廃止された。日本の特急電車の夜明けを築いた流線形の特徴あるボンネットスタイルの車両は、ここにその歴史の幕を閉じた。
なお、ここで取り上げた181系や485系以外にも、新幹線0系や私鉄各社の車両など「ボンネット型」の車両は存在する。異論もあろうが、今回は一般に言われる国鉄特急電車のボンネット型車両を主として取り上げた。
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