「ボンネット型」特急は今も斬新なデザインだ 高速電車の元祖、「鼻」の中には何がある?
特徴的な形状のボンネットの中は、圧搾空気を作るコンプレッサーや電動発電機などが収められていたという。こだま形電車は1959年7月に藤枝―金谷間で行った走行試験で、当時の狭軌鉄道で世界最高となる時速163kmをマークし、新幹線開発の礎となった。
こだま形電車は優秀な性能で成功を収め、その後東京―大阪・神戸間の「つばめ」「はと」、東京―宇野間を結ぶ四国への連絡列車「富士」、東京―名古屋間の「おおとり」、大阪―宇野間の「うずしお」などの特急列車が次々と電車化され、日本の鉄道に新たな時代が到来した。
ボンネット型のバリエーション
こだま形のボンネットスタイルはほかの車両にも影響を与えた。
非電化区間の特急列車では、1958年10月から独特のスタイルをしたボンネット型気動車、キハ81系が上野―青森間の「はつかり」として運転を開始した。その顔から「ブルドッグ」の愛称でも呼ばれ、1961年、鉄道友の会が優秀車両に贈る「ブルーリボン賞」を受賞したが、初期故障も多く「はつかり号はがっかり号」などとも揶揄された。
このボンネット型気動車はのちに特急「いなほ」や「くろしお」などにも使用されたが、1979年に「くろしお」での活躍を最後に廃車となった。現在は、京都鉄道博物館で先頭車が静態保存されている。
また、東武鉄道は1960年、浅草―日光・鬼怒川への特急に新型の1720系電車「デラックスロマンスカー(略称:DRC)」を投入した。
こちらもボンネット型だが、その形状は前面のヘッドライトなどがぐっと突き出ており、スピード感あふれる格調高い特急電車だった。ライトなどの形は、当時流行の日産セドリックの縦形ヘッドライトを意識したとも言われた。その名称から「デラ」と呼ばれ親しまれた車両だ。
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