リトル・マーメイドも叩く過剰リベラルの罪 行き過ぎたリベラルに戸惑うアメリカ人たち
この会ではその象徴的事例として、ディズニーの人気映画『リトル・マーメイド』が、女性差別を加速させると問題視された件が挙げられた。アイビーリーグの1つとしても知られる名門、プリンストン大学に端を発するこの騒ぎは、『リトル・マーメイド』の劇中歌、『キス・ザ・ガール』が有害であるとしたのだ。
問題の歌詞を直訳すると「女の子は黙って待っている、だからキスをして」とでもなろうか。同校には男性だけで構成されるアカペラの歌唱グループがあるが、そのグループが「キス・ザ・ガール」を歌うことに嫌悪感を表した女性たちの見解が抗議運動に発展したのだ。
彼女たちの言い分は「これらの歌詞は、明確な同意を得ることなく男性が女性に性的なアプローチをすることを明確に奨励している」というものだった。
本当のリベラルは極論を支持する思想ではない
「結局これも男性らしさが有害という、アメリカ心理学会の見解に似ています。リベラルたちは#MeTooや性的マイノリティーの配慮という常識を振りかざし、社会を混乱させているのです」とマクラウドさんは言う。
「今の時代、女の子が女の子らしく、男の子が男の子らしくというようなことも、うっかり言えない世の中です。こんな混乱した世の中で、私たちはどうやって、自分の子どもをまともに育てていったらよいのでしょう? これがリベラルなら、私はリベラルをやめたいと思います。本当のリベラルというのは、自分の見解を押し通すために極論を支持するような思想ではないはずです」
マクラウドさんは、「リベラル派がリベラルの問題を内部から指摘していくことは重要だ」と語るが、そのとおりだと思う。リベラルの根本は「異なる見解や背景のある人を受け入れる寛容性」が重んじられていたはず。そして、そのリベラルらしさを大切にしたいリベラル派たちは大勢存在するのだ。
アメリカの大手メディアで話題になるのは、むしろ過激派である。それが世界に「アメリカの今」として紹介されている傾向があることは非常に残念である。
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