万世橋・汐留、大変貌でも残った「鉄道の足跡」 再開発によって廃止駅の街に再び脚光

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1986年、汐留駅は役割を終える。約30ヘクタールにもおよぶ広大な貨物ターミナル駅跡地は売却されて、それらは国鉄の債務返済に充てられることが決められた。当時はバブル景気の入り口にあり、東京都心部の地価は高騰すると期待されていた。しかし結果的に、跡地の売却はバブル崩壊後になった。そのため、売却額は政府の思惑を大きく下回った。また、時期を遅らせたことで、再開発計画にも狂いが生じた。

ようやく汐留駅跡地の再開発事業が始まったのは1995年になってのことだ。2002年に区画整理が終了すると、一帯はオフィスビルが林立する汐留シオサイトに生まれ変わった。くしくも、汐留駅の廃止で一度は消滅した駅名が、都営地下鉄大江戸線やゆりかもめの駅名として復活した。

また、2018年内には近隣にある築地市場の移転が予定されており、その跡地の再開発計画が汐留にも影響を与えそうだ。現在、東京都は再開発計画を明らかにしていないが、地元・中央区は人が集まる施設、特にスタジアムのようなものを要望している。

歴史遺産をどう保存するのか

旧駅舎のあったエリアが再開発される中、課題も浮き彫りになった。汐留駅一帯の区画整理中、旧新橋駅の遺構が発見された。そのため、駅のあった場所は東日本鉄道文化財団が受け継ぎ、旧新橋停車場というミュージアム施設になった。同施設には飲食店が入店しているが、歴史遺産を保存するという使命が課せられている。

2003年に再現された旧新橋停車場の駅舎(撮影:尾形文繁)

駅舎という歴史遺産をどう保存するのか、そして、新しいまちづくりとどう折り合いをつけるのかといった課題は、万世橋駅でも同じだ。現代の都市と歴史的な遺産はどう共存していくのか。自治体・住民・都市開発事業者間でも盛んに議論されているテーマだが、それは使命を終えた駅の活用にもいえる。両駅周辺は再開発で大変貌を遂げたが、かろうじて鉄道の足跡は残されている。

小川 裕夫 フリーランスライター

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おがわ ひろお / Hiroo Ogawa

1977年、静岡市生まれ。行政誌編集者を経てフリーランスに。都市計画や鉄道などを専門分野として取材執筆。著書に『渋沢栄一と鉄道』(天夢人)、『私鉄特急の謎』(イースト新書Q)、『封印された東京の謎』(彩図社)、『東京王』(ぶんか社)など。

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