撤去進むが全廃はできない…「大踏切」の現状 警手が消えた十条、「列車種別」表示の京成高砂
8月5日に放送された「車あるんですけど…?」(テレビ東京系)では、“今や山手線でもたった1つ!消えゆく踏切絶景ドライブ&新常識”と題し、芸能界屈指の鉄道マニアとして知られる廣田あいかさんとななめ45°の岡安章介さん、ナビゲーターを務めた私の3人で関東近郊の踏切を巡った。
番組内では、駒込駅―田端駅間にある山手線唯一の踏切、屋根とエレベーター付きの跨線橋がある踏切(宇都宮線&高崎線)、12本の遮断桿のある踏切(京葉臨海鉄道)、工場夜景が楽しめる踏切(神奈川臨海鉄道)の4カ所を紹介した。
東京都内をはじめ、地方都市でも市街地では高架化・地下化によって踏切が続々と廃止されている。踏切廃止の大義名分は、「線路によって町が分断されてしまう」「鉄道事故を防ぐ」「渋滞をなくす」というものだ。
以前より、国・地方自治体・鉄道会社の3者は踏切の廃止および立体交差化に取り組んでいた。それでも、費用がかさむことを理由に3者、特に鉄道会社の腰は重かった。踏切廃止の機運が急速に高まるのは、2000年前後からだ。この流れを決定づけるターニングポイントになったのが、東武鉄道伊勢崎線竹ノ塚駅に隣接する踏切で2005年3月15日に起きた踏切事故だった。
踏切廃止の流れが強まった痛ましい事故
事故の顛末は、こうだ。
竹ノ塚駅の北側と南側には踏切があり、その踏切開閉は踏切警手によって操作されていた。同踏切は開かずの踏切として知られており、多くの歩行者が長時間待たされることは日常的だった。だから、踏切待ちの通行者たちは、いつもイライラを募らせていた。
その日、ついに通行者たちは開かない踏切に不満を爆発させる。怒りの矛先は南側踏切の警手に向かった。罵声が浴びせかけられた踏切警手は、恐怖にかられる。そして、列車通過までに余裕があると判断し、踏切を開けてしまったのだ。
遮断桿が上がったために、歩行者は踏切を渡り始めた。しかし、歩行者の中には高齢者もいた。踏切を渡り終える前に、列車が接近。結果、死者を出す痛ましい事故になった。
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