苦しさを伴って頑張るというのは、ある意味で“昭和の発想”です。一般に“昭和の人たち”は、(悲壮感・苦しみを伴う)気合い・努力・根性は必要なものと考える傾向があり、そのあり方が正しいと勘違いしている場合が少なくありません。(悲壮感・苦しみを伴う)気合い・努力・根性でもそこそこできるようになったと感じるため、それが正しいと錯覚してしまうのです。その結果、親が頑張って、「期待」を込めて継続させようとすればするほど、「絶望」がやってくる場合があります。
苦しさを伴う努力というものは、すべてとはいいませんが、良い影響を与えない場合があるのですね。つまり、その親の苦しさは確実に子どもに伝わっており、子どもはその苦しさに同情することなく、「継続することは苦しいもの」「子どもを育てることは難しく、苦しいこと」という感情を受け取っているだけだったりするのです。
心が動かなければ、成果も出にくい
そこで、あえて次のことを考えてみましょう。
実は「継続できない」が正しい場合もあるのです。親は、習い事を今やっておけば、「あとで得する、いいことがある」と考えているでしょう。しかし、子どもは今の状態が嫌なのであって、その嫌なことを継続させることでさらに嫌いになる場合があるのです。
特に子どもが小さい頃は、たくさんの経験が必要です。たくさんの経験がその後の人生に大きな影響を与えていくからです。そのような経験を筆者は「つまみ食い」経験と呼んでいます。幅広い経験をするためには、飽きっぽい、継続できないことが前提条件になるのです。ですから、継続できないということが必ずしも悪いということではないのです(もちろん、はじめは嫌がっていてもやってみたら楽しくなって伸びていくこともまれにあります)。
このようなことを知らずに親が頑張って継続“させる”と、いったいどうなるでしょうか。
通常は、『継続は力なり』といって、継続することを奨励されます。これは正しいことだと思います。では、継続“させる”ことはどうでしょうか。
継続させようと親が頑張るほど、子どもはその対象から離れていくこともあります。子どもの中には天邪鬼(あまのじゃく)な傾向を持つ子も少なくなく、親が言うこととは逆の行動をとることがあります。
たとえば、
「勉強しなさい」と言われれば、やりたくなくなる
「継続しなさい」と言われれば、やめたくなる
これらに共通することは、すべて「命令形」ということです。命令に対して気持ちよく従う人はごくまれでしょう。これは子どもに限らず、大人もそうです。「今日の夜はカレー作りなさい! 味は中辛にしろ!」とご主人に言われたら喜んで作るはずはありませんね。激辛のカレーを作ってやろうと思うかもしれません。それよりも「今日のカレー、おいしかったよ」と言われれば、次はもっとおいしいカレーを作ろうと思うに違いありません。
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