将棋・羽生善治竜王が「弟子」をとらない理由 15歳で棋士に、師匠らとの思い出を告白

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——二上先生からの言葉や特に印象に残っているエピソードは。

入門した頃は、お正月に師匠の自宅にあいさつに行くというのが恒例行事でした。5〜6人の弟子たちとおせちを食べながらテレビを観たり、将棋を指したりしました。若いときは将棋が一本調子になりやすいので、「バランスよく指すことが大事だ」と教わりました。

あと、師匠はカラオケが大好きでしたが、弟子たちの前で歌うことは絶対にしなかったのです。晩年になって、やっと一緒に行ってくれました。そのときは山口百恵の「いい日旅立ち」を歌われていましたね。

——羽生先生は歌われないのですか?

私はもっぱら聞き役です。そりゃ〜そうっす。歌ったことはありますが、ほぼ聞き役です(笑)。

いちばん強く影響を受けている谷川九段との対局

——「師弟」の中に登場する棋士との思い出を伺いたいと思います。谷川(浩司)九段は王位リーグに7期ぶりに復帰されました。真っ先に「羽生さんと久しぶりに対局できるのが嬉しい」と発言されていました。

公式戦では、数年空いていますね。いちばん覚えている対戦といえば、やはり阪神・淡路大震災直後の王将戦第2局です。栃木県の日光で行われたのですが、当初は延期になるのではないかと考えていました。無事に実現できるとわかったときは、安堵しました。対局の日に、谷川先生が着物姿で「おはようございます」と対局室に入ってきたとき、雰囲気やたたずまいが違ったんです。説明するのは難しいのですが、醸(かも)し出しているものが違ったんです。

あと最終第7局の、最後の一手を指すときの手つきが、重々しかったのが印象に残っています。谷川先生は普段、軽やかな手つきなんですよ。

——谷川九段と対局されるときは、やはり特別な感情はありますか。

谷川先生が史上最年少で名人になられたのは、私が奨励会に入会した年でした。名人戦の展開を、固唾(かたず)をのんで見ていました。その後小学生の大会で谷川先生が得意としていた4五角戦法が大流行してましたね。私自身、いちばん強く谷川先生の影響を受けていると思います。初めて公式戦で当たったときは、かなり緊張しました。

——森下卓九段とは4度、タイトル戦を戦われています。

森下さんと名人戦をやっている最中に、とても印象に残っていることがあります。

1日目が終わって、関係者との会食の後、森下さんと同じエレベーターに乗り合わせました。対局相手と鉢合わせることはよくありますが、ふつうは会釈だけです。それが降りたところで森下さんに「ちょっといいですか」と呼び止められて、ふつうに雑談が始まったんです。長くなったので途中でソファーに移動して、二人で1時間くらい話しましたかね。シリアスな話は一切ありません。

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