広陵、「背番号10の主将」が甲子園でみた風景 二松学舎大付に惜敗、広島県代表として・・・

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「デッドボールが当たった瞬間に、思わず吠えていました。『これから逆転するぞ』という気持ちでした」

続く代打の馬場俊輔がセーフティバントを決めて、ワンアウト1、2塁とチャンスを広げた。バッターは一番の好打者・高田桐利――いい当たりのゴロはセカンドのグラブに収まり、ダブルプレイ……2018年の広陵の夏は終わった。

猪多は最後の試合をこう振り返る。

「高校生活ではなかなか打席に立つことができませんでしたが、最後に甲子園の打席に立たせていただいて……本当に感謝しています。130人の思いを背負って打席に立った。

7月に豪雨災害があり野球をすることが難しいなかで、当たり前のように野球ができることに感謝しています。最後の最後まであきらめることなく、広島県代表として生き生きとしたプレイができたので、悔いはないです」

猪多がグラウンドに立ったのは、わずかな時間だ。初回に伝令役でマウンドに上がったときと代打、デッドボールで出塁したとき……。

中井監督が猪多を代打で送った胸中

中井監督は猪多の起用について言う。

「猪多は、人にはできないような努力をしてきた男です。最終回はなんとかしてくれると思って代打に送りました。デッドボールの瞬間、何か叫んどったんで、気持ちよかったんじゃないですか(笑)」

当の猪多はこう語る。

「大舞台に立たせていただいたことに感謝しました。控え選手のおかげでここに立てたんだなと思いました。伝令でマウンドに行ったときは気持ちよかった」

中井監督は最後にこう言って甲子園を去った。

「今日は勝負では負けましたけど、一生懸命さでは負けとらんかったんじゃないですかね」

(文中一部敬称略)

元永 知宏 スポーツライター

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もとなが ともひろ / Tomohiro Motonaga

1968年、愛媛県生まれ。立教大学野球部4年時に、23年ぶりの東京六大学リーグ優勝を経験。大学卒業後、ぴあ、KADOKAWAなど出版社勤務を経て、フリーランスに。直近の著書は『荒木大輔のいた1980年の甲子園』(集英社)、同8月に『補欠の力 広陵OBはなぜ卒業後に成長するのか?』(ぴあ)。19年11月に『近鉄魂とはなんだったのか? 最後の選手会長・礒部公一と探る』(集英社)。2018年から愛媛新聞社が発行する愛媛のスポーツマガジン『E-dge』(エッジ)の創刊編集長。

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