北朝鮮で「英語ができる人」が重宝される理由 政府のプロパガンダとは裏腹に…
北朝鮮の文化・教育政策において、外国語ほど矛盾した扱いを受けているものもない。排外的なチュチェ(主体)思想を掲げる北朝鮮としては、パンドラの箱を大きく開けるのは何としても避けたいところだ。海外の知識を学ぶことによって得られる実利は捨てがたい。しかし、海外の知識を受け入れれば政治的に悪影響が及ぶ恐れがある。北朝鮮の外国語政策は、このように実利と政体護持の間を揺れ動いてきた。
「野蛮な米国人」や「日本の帝国主義者」のイメージを除けば、1980年代後半まで外国語や海外の文化に一般の関心が向けられることはなかった。
選ばれし者だけが海外の言葉に接していた
だが、必ずしも文化的な鎖国が行われていたわけではない。チュチェ思想に導かれた北朝鮮は外国からの助けを一切必要としないことになっていたが、実際は海外からの影響を強く受けていた。家具はソ連風だったし、服も欧米のファッション業界からヒントを得てデザインされていた(20年ほど時代遅れになっているのが普通だったが)。
とはいえ、北朝鮮では選ばれし者だけが海外の言葉や文化に接することを許されていた。海外と接するのはエリートだけで、そうしたエリートが新しい情報を抽出・ブレンドし、国内に流通させる役割を担っていたのだ。一般庶民に関与の余地などなかった。
このような慣行に逆らうとどうなるか、その破滅的な結末を描き出しているのが1980年の人気映画『上階に住む隣人の問題』だ。美貌のスンオクは、農村での労働に志願する進歩的な若者と婚約していたが、海外生活を夢見て婚約者を捨てる。走ったのは商社勤めの怪しげな男。スンオクは快適な飛行機や豪華なタクシーに乗って世界を飛び回り、外国人と会話する自分の未来に思いをはせる。
商社勤めの男と結婚するスンオク。だが、夢はあえなく打ち砕かれる。夫の海外渡航が土壇場で取り消しになってしまったのだ。無謀にも分不相応な夢を抱いたスンオクは、平壌で不細工な夫と暮らすことになるのだった――。
1980年代も後半を過ぎると、北朝鮮には技術時代が到来し、さまざまな社会階層で外国語習得の必要性が認識されるようになる。学校の外国語教育も大幅に見直された。2000年代半ばには、英語とロシア語の教科書が改訂されている。