現在の状況には、1930年代の欧州を思い起こさせるものがある。当時のドイツでは、資本家の多くがヒトラーに不快感を抱きつつも、経済的な恩恵をもたらしてくれる以上はうまく共存していけると考えていた。保守本流の財界人から見れば、ヒトラーは粗野な新興政治家にすぎない。財界の力をもってすれば、簡単に操れる。そう高をくくっていたのだ。
歴史を見れば、暴政への道にはパターンがあることがわかる。司法の独立に対する攻撃は、その一例だ。だが、歴史は現状を見誤らせる原因にもなりうる。思い込みが紛れ込むからだ。たとえば、民主主義国では「自由な国に独裁者は出現しない」と決め付けている人が多いが、本当にそうだろうか。
ヒトラーの再来ではないかもしれないが…
左派も、右派と同じくらい危機の兆候を見落としてきた。1920年代のドイツはワイマール共和国として民主主義の確立を目指していたが、右派が台頭し、揺さぶりをかけられていた。それなのに、スターリン指揮下の共産党はおろか、共産党以外の左派陣営までもが右派と対決するのを拒み、ナチスの躍進を許してしまったのだ。
トランプ氏はヒトラーの再来ではないかもしれない。だが、民主主義を切り崩そうとするトランプ氏の行動を、与党共和党が完全に黙認しているのは不気味だ。極左の口ぶりも気になる。極左は、トランプ氏もオバマ前大統領も、資本主義の手先という意味で同じ穴の狢(むじな)だと考えている。
トランプ氏の場合はただ、邪悪な新自由主義が一段と露骨に表れているだけで、両者の間には程度の違いしか存在しないというのだ。共和党も極左も、右派ポピュリズムが持つ本当の怖さを甘く見すぎている。
問題なのは、民主主義が本当に危機的な状況にならないかぎり、自由を守ろうとの機運が高まらないことだ。トランプ氏のような扇動家がヒトラーのように振る舞おうとしても、民主主義国なら阻止できると安心しきっている人は多い。だが、そうでないことがわかったときには、もう手遅れなのだ。
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