小田急ロマンスカー「LSE」38年の豪快な疾走

定期ダイヤでの運転終了、年度内に引退へ

小田急は戦後、新宿―小田原間を60分で結ぶという目標を立てており、SEもこの目標の実現を目指して開発された。車体の大幅な軽量化などスピードアップのためにさまざまな工夫が行われた。「低重心化」もその一つで、台車のある部分以外の床を10センチ程度低くしていた。

新宿―小田原間の特急列車の所要時間は1963年には62分まで短縮され、目標まであと一歩に迫った。同年にデビューしたNSEも、展望席を設けるなど車内設備の充実を図りつつ、高速性能を重視してこの構造を踏襲した。

スピードアップを狙った構造は車両の性能だけでなく、実は当時計画が始まった複々線にもあったという。小田急の複々線は4本ある線路のうち内側の2本を特急・急行など、外側の2本を各駅停車が走る。内側の2本を各駅停車用にすればホームを1つで済ますことができるが、あえてそうしなかったのは、中央にホームをはさむ形にするとカーブが増え、高速化の妨げになるためだった。

「(特急60分運転の実現という狙いは)ありましたね。これは私が最初から言っていたことで、内側の2線は急行線ということで押し切ったんです」と生方さん。60分運転達成がいかに大きな命題だったかがわかる。

速さから本数や快適性へ

だが、昭和40年代以降は増え続ける通勤利用者をさばくための輸送力増強に追われ、あと一歩まで近づいていたスピード面の目標達成は次第に遠ざかっていった。1970年代には新宿―小田原間の最速所要時間が62分からダウン。「特急60分運転のためには途中で待避線をつくらないといけない。だからといってこの時期に待避線をつくるなんてとんでもないということで、特急のスピードは我慢をしようという流れだった」という。

その流れの中で、LSEは床面を下げた低重心構造を採用しなかった。生方さんは「技術屋としては60分運転をやりたいけれど、ちょっともう無理だろうと思っていましたね」と当時を振り返る。

「新幹線ができちゃって、世間一般であの当時はもう普通鉄道でのスピードという要求はなかったんですよ。在来線でいくら頑張っても新幹線のスピードは出ませんからね。2分や3分速くするよりも本数を増やして乗りやすくする、そして快適に乗れる、そういう方向に流れが変わっていたんですね」。少しでも速さを追求した時代から、快適性や高級感が重視される時代へと変化する中で登場したのが、「豪華さ」のLを頭文字としたLSEだったわけだ。

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