フォード「マスタング」しぶとく残る車の真価 乗用車不振の中、イメージリーダーを守る
ベースとなった「ファルコン」はお世辞にもカッコいいとは言いがたい野暮ったいスタイリングだった。これは1968年に6ライトのどちらかといえば野暮ったいセダンの「フローリアン」をベースに、流麗なクーペボディをまとったいすゞ自動車「117クーペ」が生まれたことに近い。
それまで、5メートル近いセダンに強力なV8エンジンを積んだ“マッスル(筋肉)カー”というジャンルはあったのだが、フォードは、より軽快でベースのセダンとはまったく異なる外観のクーペという“ポニーカー“と呼ばれるジャンルをマスタングで創出した。ポニーは小型の馬の意味であり、マスタングという車名がポニーカーの語源となったものと思われる。
リー・アイアコッカ指揮下のフォードで生み出されたこのクルマづくりの手法は、最盛期には年間60万台強という、今の日本市場で言えばホンダの年間総販売台数に匹敵する驚異的なセールスを記録した。
日本車全体にも大きな影響を与える
いすゞだけでなく日本車全体にも大きな影響を与え、トヨタ自動車はセダンの「カリーナ」とプラットフォームを共有させて1970年に「セリカ」を生み出した。さらに1973年に追加されたハッチバック仕様の「セリカ リフトバック」では、縦型が連なるテールランプデザインやCピラーのルーバーまで本家マスタングをそっくりまねたのは有名である。
初代マスタングは1969年に大幅なスキンチェンジを経て、1973年まで続くが、このスキンチェンジの際に長く幅広くなり、全長は20センチメートルも延びて4.8メートルを超え、重量は300キログラム以上も増加する。結果、軽快なポニーカーのイメージから離れ、加速性能も悪化した結果、末期には販売は低迷する。
その反省に鑑み、1973年9月には当時のアメ車で最も小さいサブコンパクトの「ピント」をベースとして、「マスタングⅡ」と呼ばれる全長4.5メートルを切るコンパクトな2代目が誕生し、初年度の販売台数は年間38万5000台まで回復した。
しかし、1979年登場の角型ヘッドランプの3代目、1994年の異形ヘッドランプの4代目と時を重ねるにつれ、人気は下降し、4代目は2000年を除いて販売が20万台を超えることはなかった。
この頃、ライバルであるゼネラルモーターズ(GM)の「シボレー カマロ」や、「ポンティアック ファイヤーバード」が全長5メートル近いグラマラスな車体を維持したのに対して、マスタングは全長4.5~4.6メートルのサイズを維持して、むしろカマロやファイヤーバードよりも、急速に台数を拡大したトヨタ「セリカ」や、日産自動車の「フェアレディZ」などの日本製クーペ軍を迎撃するポジションを取るようになった。
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