「海外就活」が当たり前の時代がやってきた! 岡崎仁美「リクナビ」編集長×森山たつを対談(1)
生き残りに対する危機感をどう転換していくか
――一般に「内向き・安定志向」と言われる就活生のイメージがある一方で、海外に出て行くアグレッシブな学生が実際にいます。彼らの姿は二極化しているのでしょうか。それとも多様化しているのでしょうか。
森山:多様化の方向だと思います。今、ネットで海外各国のあらゆることが調べられます。現地のクラブシーンから、現地採用の給与体系まで。調べる力のある学生は、自分の興味があることに関しては、現地人よりも詳しいくらいにまで調べてしまう。そして実際現地に行って、ネットの情報の間違っているところ、遅れているところを更新までする。学生にもそんな人がいます。いろんな国のいろんな分野に関する「専門家」が日本にいるんです。自分の興味があるところに一極集中ではあるけれど、多様な専門家がたくさんいるのが現状です。
岡崎:私は、今の就活生が「安定志向」と言われてしまう背景には、将来の不安を前にした「なんとか身を守らなきゃ」という危機感からの本能的な欲求があると感じています。「身の丈にあった安全なところに就職しよう」という守りの人もいれば、「不安だからもっと頑張って、新しい分野を自分が切り開こう」という野心的な人もいる。「皆と同じことをやっておけば間違いない」という人もいる。これらすべての根底には共通した不安があるのではないでしょうか。
森山:そうですね。この辺は人の志向によると思いますね。ただ、日本人は「安全牌を目指せ」と親や学校から教育されている場合が多いですが、変化と淘汰の時代の中で、これまで安全牌とされていた企業への就職や働き方が、もしかしたら危険牌に変わっていく可能性があります。
岡崎:実は、「グローバル、グローバル」と言いすぎている学生を、ちょっと危ういと見ていたところもあったのです。私は「グローバル強迫観念」とも呼んでいるのですが、今、世界を目指さないと50年後には食えない、みたいな切迫感とでも言いましょうか。
「大手企業なら今後グローバル展開は当たり前だから、そこで通用する人材にならなければ」という感覚ですね。その気持ちはわからなくもないのですが、自己実現の方法はいろいろあるはずなのに、グローバルに執着しすぎてしまっているように感じます。
森山:誰もが主軸になる必要はないんですよね。語学も堪能で欧米を含めた世界でバリバリ活躍できるエリートのことを私は“グローバルマッチョ”と呼んでいるのですが、グローバルマッチョを補助する脇役にも仕事の役割はあって、そこで生きていく方法もある。
周りがやっていることに流されずに、自分ができることは何かを考え、身の丈に合った食いぶちを見つけるくらいでいいんだと思います。その食いぶちが国内でも国外でもいい。そんな時代になっていくと思っています。
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