「中東の憎悪」がなぜか欧州に向かう根本理由 戦火の「欧州・中東200年史」から読み解く

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フランスは長年にわたって、国民に銃口を向けていたシリアのバシャール・アサド大統領を支援していた。2001年、シラク大統領は、父ハーフェズ・アサド大統領の死後、政権を受け継いだバシャールに、フランスの最高勲章レジョン・ドヌールの中でも最高位のグランクロワ(Grand Croix)を授与していた。フランス政府は47万人の犠牲者を出し、500万人が難民となっている今になって、同氏から勲章を剥奪する方針を明らかにしたが、フランスとシリアの関係はそれほどまでに特別な関係であったのである。

2018年4月19日、結局「アメリカの奴隷」からの勲章は必要ないとして、勲章はシリア側から返還された。この特別の関係は、オスマン帝国崩壊後、シリアの過半をフランスが委任統治したことにさかのぼる。

シリアにおいて、アサド家が台頭した理由は何か。アサド家が属するアラウィ派は、もともとスンニ派が多数派を占める同国で約13%を構成するにすぎない少数派だった。フランスは貧しかったこのアラウィ派を軍事教育することで、治安維持を担わせようとした。軍事教育を受けたアサド家は力を蓄えると、独立後バアス党、政府機関、軍、警察、国営企業の要職を実効支配し、多数派のスンニ派を排除して強権的に同国を統治してきたのであった。

こうした事情により、中東の民主化運動「アラブの春」後、長年弾圧されてきたスンニ派の一部が国際テロ組織アルカイダ系「ヌスラ戦線」やISに姿を変えることになるのである。

なぜ、イスラーム過激主義が支持されるのか

中東では、中東民主化運動「アラブの春」以前もそして今も、ほとんどすべての国が強権体制であり独裁制を敷いている。なぜか。

近代史において中東・北アフリカでは、フランスやイギリスによる人工的な国境の線引きによって、統一的・同胞的な社会・経済コミュニティが分解した。それに加えて、武装蜂起したグループが独立後も力を保ち続けて軍制を敷くか、あるいは石油資源が眠る領域を支配していた部族が富を蓄え王制を敷き、今なお、その富の配分によって市民を黙従させているからである。

さらに米ソ冷戦構造がアラブ世界にも浸透し始め、国境を越えて民族主義・社会主義的な連帯を唱える汎アラブ主義が革命色を帯びるようになった。それに危機感を覚えた米国および欧州諸国はイスラエルを西側諸国の前線基地と位置づけ、軍事的な協力を惜しまなかった。レバノン戦争を含め多くの戦争を戦ったものの、アラブ側は一度も勝利することができなかったばかりか、無能な軍事機構と汚職にまみれた官僚機構だけを残す結果になった。

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