「中東の憎悪」がなぜか欧州に向かう根本理由 戦火の「欧州・中東200年史」から読み解く

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中東では、欧米諸国が口にする民主主義は、容易に独裁者に道を譲る表面的で実態のないものだった(写真:Aboud Hamam/REUTERS)
2018年5月29日、ベルギー東部リエージュ中心部。男が警察官から奪った銃で発砲し、女性警官2人と市民1人が死亡した。男はその後、人質を取り学校に立てこもったが、警察によって射殺された。過激派組織「イスラーム国」(IS)が犯行声明を発表、欧州委員会をはじめ、欧州連合(EU)の組織が多く集まるベルギーがISに狙われたことに、欧州は再び衝撃に揺れている。
ベルギーでは2016年3月にも、ブリュッセル空港と市内のマールベーク駅で同時テロが発生、32人が犠牲となっている。この時もISが関与していた。2015年11月15日にパリで死者130人、負傷者300人以上を出すことになった大規模イスラーム・テロ事件が発生したばかりだった。
なぜ、欧州でテロが続出するのか? なぜ、中東の怒りは欧州に向かうのか? 近著『戦火の欧州・中東関係史――収奪と報復の200年』を上梓した著者が読み解く。

シリア混乱の最大の責任はフランスにある

第2次世界大戦後、欧州諸国のリーダーたちは長い時間をかけてEUを創設した。第1次大戦と合わせて、欧州が2回も大戦の起点となったことからだ。EUとは不戦条約締結国の集合体でもあり、加盟国は一度もお互いに戦争をしたことがない。すなわち不戦を誓った場がEUであり、宗教・人種・出自に関係なく人権が保障される場がEUだった。

『戦火の欧州・中東関係史――収奪と報復の200年』(書影をクリックすると、アマゾンのサイトにジャンプします)

だが、人権や民主主義を声高に叫ぶ一方で、欧州が中東地域でしてきたことは何か。イスラエル・パレスチナ問題は、周知のとおり、イギリスの三枚舌外交が招いた結果である。1948年、イスラエルが建国を宣言するとアラブ諸国はイスラエルとの戦争に突入した。4次にわたる戦争を行ったエジプトや、3次にわたって交戦したシリアは軍事機構が肥大化し、情報公安部が発達、軍出身の為政者の地位を強固にした。

その後、国家の安定を口実に、戒厳令下の例外状態が常態化し、国家による市民の監視が広がった。暗殺やクーデターを恐れるあまり、軍事・警察活動は混然一体となり、国民国家の内側と外側の違いも区別できなくなった。すなわち外に向かって国民を守るべき「国家」は、内であるはずの国民に銃口を向けたのであった。

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