「国家優先」に覆われた自民党改憲案は危険だ 前川喜平氏が指摘する「26条改正案」の問題点

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他方、「教育が……国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであること」を留意事項とすることは極めて問題である。

人権保障規定に「国の未来」などという条件を持ち込んではいけない。このような留意事項は、教育を受ける権利の保障に関係ないだけでなく、「国の未来を切り拓く」上で役に立つ国民の教育は保障するが、役に立たない国民の教育は保障しないという論理につながる危険性を持っている。

この自民党改憲案は全体として、個人を国家に従属させる国家優先の思想に覆われているが、その思想がこの文言にも表れていると言えよう。

自民党の26条改正案は元々、9条加憲や緊急事態条項という「国民が食べにくいものを食べやすくする」ため、食べ合わせに甘いおかずを用意しようとするものだと考えられるが、その甘い(が栄養がない)おかずの中にも体を蝕む毒が入っている。

憲法26条は当面、今のままで不都合はない。自民党の26条改正案は、それらしい言葉をたくさん並べてはいるが、そのほとんどは全く不要であり、一部は有害ですらある。教育の「漸進的無償化」なら現行憲法の下で進めていけばよい。

「義務教育」ではなく「無償の普通教育」と明記すべき

将来、国民的な議論の上で改正を行うのであれば、筆者としては提案したい改正案がある。

1項「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」は「すべての個人は、法律の定めるところにより、その個性に応じてひとしく、ともに教育を受ける権利を有する」と改正する。

「国民」を「個人」に変えるのは、教育を受ける権利を国籍の如何を問わず保障する趣旨を明確化するためだ。「能力」を「個性」に変えるのは、各個人の属性をできるだけ広くとらえるためである。「ともに」の言葉を加えるのは、国籍の違いや障がいの有無にかかわらず一緒に学ぶことの重要性を示すためだ。

2項「すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とす。」は「国は、すべての個人に、無償の普通教育の機会を保障する義務を負う」と改正する。

保護者の義務を定めるのではなく、国の義務を定めるのだ。条文の主語を国に変える点では自民党の改憲案に似ているが、国が負う義務は「すべての個人に無償の普通教育の機会を保障すること」という具体的な内容を持っている。

「義務教育」という言葉は使わず、「無償の普通教育」という言葉に置き換える。「無償の普通教育」は国民の義務ではなく、すべての個人の権利だからだ。

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