2人の技術者の邂逅がJR西日本を動かした 福知山線脱線事故後に巨大組織で起きたこと
淺野は一貫して、JR西日本の体質こそが問題であると訴え続けた。どうしてそこまで強く、というのが、読んでいてなかなか腑に落ちなかった。しかし、その疑問は、JR西日本の「天皇」とまで呼ばれた実力者、井手正敬に対するインタビューを読むと氷解する。
事故がおこるとすぐに「クビだ!」と怒鳴った井手らしい発言だ。人間はミスをする、という前提とは真逆の発想なのである。さらに組合について「JR全体の問題なんです。これを改めようと思えば、どうしたって独裁者になる。ならざるを得ないんですよ」と述べている。なるほど、このような考えの独裁者・井手が作った組織には大きな問題があるわけだ。
「徹頭徹尾、統治者の目線なのだ」、「安全技術の進展の陰で犠牲になった者への視点がない。家族を失った者の嘆きに、少しでも立ち止まって耳を傾ける姿勢がない」と、著者の松本は井手に対して手厳しい。しかし、一方で「いくら悪く書かれても、それは構いません」と語る井手に「並の官僚とは違う」という感想も抱く。ここまでいくと、まるで怪物か妖怪のようだ。
山崎は、JR西日本の組織意識を改善するには井手の影響力を排除することが必要であると考えた。だから、井手の関連会社顧問としての契約を解除し、次期社長の有力候補で井手の腹心でもあった副社長を出向させた。社長になるはずがなかった男、井手の息がかかっていなかった山崎だからこそできたことだ。
丁寧に作られたノンフィクション
これほど丁寧に作られたノンフィクションはめったにない。事故の詳しい状況、淺野の慟哭、事故をおこした運転士のこと、JR西日本の体質、淺野・山崎・井手の来歴と人柄、山崎が社長として犯した大失着とそれに対する淺野の赦し、ネットワークとJR西日本の関係、そして、その時にきちんとした対応策を講じていれば福知山線の事故はなかった可能性があるとまでいわれる信楽高原鐡道の正面衝突事故、などが丹念に描かれている。
こういった内容を頭にいれながら読み進めると、もし淺野と山崎の邂逅がなければ、JR西日本は積極的な体質改善に向けて歩み出すようなことはなかったのではないかという考えが湧いてくる。
米国などに比べると、日本は事故から学ぶという姿勢が少なすぎる。しかし、まっとうな人間が携われば、決してそうではないのだ。淺野弥三一の行動は、そのことを教えてくれる。この本は単なる事故ドキュメンタリーではない。すぐれた人間ドキュメントになっている。そのおかげで、重苦しい事故を扱った重厚な本だが、読後感は不思議に爽やかだ。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら