マツダが瀬戸際から復活を果たせた根本理由 車種の絞り込みと混流生産が競争力を生んだ

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さらにフォードの体質の問題もある。過去に例外はあるものの、フォードは基本的に他社を打ち破る最高性能の製品を作ろうなどとはそもそも考えない。強大な販売網に物を言わせて製品の優劣に依存せず販売力で押し切る戦法だ。だから車両開発の過程で出てくる項目ごとの開発指標に「競合社並みに」とか「平均値から大きく劣らないこと」という言葉が並ぶ。並の製品で構わない。余計な工夫をしてコストが上がることのほうを問題視したのだ。

ただ、フォードは商品企画上、傘下のブランドがみな同じハードウェアを使い回すことで、似たようなクルマばかりになることを恐れた。自社ブランドの共食いは避けたい。そこで各社のブランディングに力を入れた。

これに関しては非常に真摯な姿勢で臨み、フォードの都合を押し付けることなく、傘下の各メーカーに対してしっかりと自己分析をさせ、それを尊重した。フォード離脱組のボルボやアストンマーティン、ジャガー、ランドローバーが現在元気なのは、フォードがこのとき、各社のコアバリューを丁寧に定義したからだ。後にフォード傘下から離脱したボルボとGM傘下から離脱したSAAB(サーブ)を比べると非常に対照的である。再出発にあたって、ブレない軸をフォードは各社に与えた。

マツダの「Zoom-Zoom」はそうした中で生まれた。英語の幼児語で「ブーン、ブーン」を意味する言葉が表すのは「移動体の楽しさ」、いや本来の子どもらしい言葉で表せば「動くものは楽しい」と言うべきか。

エンジンもシャシーも何もない

そういうブランディングを軸にマツダは再生を始める。ところが2008年にリーマンショックが起こり、フォードは連邦倒産法第11章(チャプター11)適用の瀬戸際まで追い込まれ、傘下のブランドを整理することでGMやクライスラーのようなチャプター11の適応を免れた。

マツダはフォードの傘から外れたが、それはとりもなおさず、これまで13年間にわたり提供されてきたフォードのエンジンやシャシーが使えなくなることを意味した。

「自社で開発すればいいじゃないか?」と外野が言うのは簡単だが、エンジンもシャシーも莫大な費用が掛かる。それを全モデル相当分、新規で起こすのはマツダの規模では経済的に不可能だ。本来ならラインナップを縮小するしかないが、当時のマツダは日本、北米、欧州、その他がきれいに25%というシェア比率で、それぞれのマーケットの屋台骨になるクルマが異なっていた。車種を整理することはすなわちどこかのマーケットを捨てることになる。それはあまりに手痛い。

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