母の肋骨を折った不良少年、更生への長い道 自分の体験をもとに出所した若者たちを支援
「親がいないのが当たり前だから、寂しいとは思ってなかったんです」
1981年に生まれた渋谷さんは、幼稚園の時に両親が離婚。以来、母子家庭で育った。母親は、美容院やエステなど多業種の経営者であったため家計に困ることはなかったが、毎日夜遅くまで家に帰って来なかった。仕事で忙しい母親は、1人息子の渋谷さんに、愛情の対価として沢山のゲームを買い与えた。気付けば家のタンスの引き出しはゲームで溢れていた。
渋谷さんは学校が終わっても友達と遊べば1人になることはなかったが、夕方になるとみんな、夜ごはんを食べるため家に帰ってしまう。夜ごはんもない誰もいない家に帰り、ゲームで暇を潰す毎日だった。
「自分でも気付かなかった寂しさが、ずっと胸の奥で消えていなかったんです」
中学校に上がると、次第に帰る時間が遅くなり、家にいる時間も減った。物で溢れた母親のいない家に居場所など見出すことができなかった。次第に自分と似たような境遇の友達を見つけ、つるむことが多くなった。彼らの大半は家庭に問題を抱えており、いわゆる「不良」の集団だった。コンビニエンスストアに溜まって、カラオケで一夜を過ごす日々。誤った道を進もうとする渋谷さんを止める人は、誰もいなかった。
母親を蹴り飛ばした
中学3年生の時、先輩が使わなくなった原付バイクを無免許で運転。普通のゲームだけでは埋めることができなかった寂しさを埋めるため、必死でスリルを求めた。寂しさを消すほどの刺激が必要だった。もっと悪いこと、もっと危ないこと……。窃盗、恐喝と、次第に非行はエスカレートしていった。
そして皮肉にも、今まで褒められることのほとんどなかった渋谷さんが唯一周りから褒められる場所は、不良仲間だった。仲間の誰よりも悪いことをした時、「お前すごいな!」と認めてもらえることが気持ちよかった。そして褒められれば褒められるほど、どんどん悪いことをしたくなったのだった。そこは紛れもなく、渋谷さんの居場所になった。
成人してもなお詐欺、恐喝をしていた。妻子はいたが、週に1回家に帰り、何とかして手に入れた大金を置いていくだけで、ほとんどの時間を悪いことや愛人に費やしていた。
理不尽な怒りに任せて、母親を蹴り飛ばしたこともあった。はっとした時にはもう遅かった。頑丈で気が強い母親が、涙をこらえ、悲しみとも苦しみとも取れるような表情を浮かべていた。あばらの骨が3本折れていた。
「あの時の母の顔が脳裏に焼き付いていて今でも忘れられないんです」
気が強い母親のもろい一面を見た瞬間だった。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら