何気なくテレビをつけたら、国内移住についていくつかのパターンを紹介していた。その中であるご夫婦の暮らしぶりが、私のアメリカ生活とダブって見えた。そのご夫婦は、移住した先で畑を耕し、念願だった暖炉付きのログハウス風の家を建て、リタイア生活を始めた。最初、どこの誰だかもわからない人に接する地元の人はほとんどおらず、2人は孤立した生活を送ったらしい。2人は「ああやっぱり移住の壁にぶち当たったか、これではダメだ」と悩んだが、まず自分達を知ってもらおうと積極的に地域の行事に参加したそうだ。自分から飛び込んでいった結果、地元の人がその人となりを理解し受け入れてくれた。5年経った今は、すっかり土着した様子だった。
私も似たような経験をしている。日本で年間6勝し、米ツアープロテストもトップ合格、怖いもの知らずで飛び込んだ米国ツアー。多くの報道陣も詰めかけてのデビュー戦。英語ができなかったので、友人に通訳兼マネージャーをお願いし、ゴルフだけがんばればいいと高をくくっていた。
ところが、まず肝心のゴルフがうまくいかない。その上、英語がダメなこともあってツアーメンバーの誰も私には話しかけてくれない。英語のできる友人は楽しそうにあっちこっちで話している。私には友達もできなければ、試合の大事な情報も生活する上で必要な情報も、また聞きの状態。日本語だったら何でも自分でできるのに、ここでは赤子同然。ゴルフの成績でもよければまだ救われるのに、それもやればやるほど、米ツアーの厚い壁に跳ね返されるばかり。つらくて孤独で居場所が見つからなかった。日本であれだけできたのに、なんで? と悩んだ結果、日本にいるときと同じになればいいのだ、と腹を決めた。
まず、試合先に1人で出掛け、何でも自分でやらなければいけない状態にした。豆和英・英和辞典を片手に自分から積極的に話しかけた。聞き取りができなければ答えが返せない。家にいるときはテレビをつけっぱなし、車を運転すればラジオをかけっぱなしで耳を慣らした。新聞を開いては選手のコメントを読み、言い回しを覚えた。ツアー仲間には、他の人が話している言葉をそのまま真似して違う人に話しかけたり答えたり。つたない英語で何度も聞き返されながら、自分を知ってもらおうと必死でやり続けた。その結果、だんだん自分を受け入れてくれ、居心地も格段によくなり、みんなと同じような生活のペースになっていった。
この経験から、日本でいくら成績を上げようが、米国のみんなには何の関係もないことが肌でわかった。その土地でどう生きるかが問題なのだ。過去にとらわれず、自分をリセットし、帰るところがないというくらいの気概をもって必死に食らいつく。そういう姿を見せてこそ人は仲間として受け入れてくれる。国や場面は違っても、人間の持つ感情は同じなのだと改めて感じた。
1963年福島県生まれ。89年にプロ初優勝と年間6勝を挙げ、90年から米ツアーに参戦、4勝を挙げる。欧州ツアー1勝を含め通算15勝。現在、日本女子プロゴルフ協会(LPGA)理事。TV解説やコースセッティングなど、幅広く活躍中。所属/日立グループ。
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