テレビゲームの父、任天堂・山内溥氏を悼む 享年85歳。顔を持った個性的な経営者がまた1人、鬼籍に

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我が国だけではなく世界の家庭用ビデオゲーム市場を強力に牽引した任天堂の前社長、故:山内溥氏の告別式に向かう新幹線の中で、車窓を眺めながら毎週のように同じ新幹線で京都に通った日々を懐かしく思い出した。

当時、任天堂初の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」が大ヒットし、珠玉のようなゲームソフトが数多くリリースされていく中で、さらなる未来への可能性を感じてソニーの研究所としても技術的なアイデアをいくつか提案させて頂いていた。

幸いな事に任天堂開発部の皆さんに興味を持って頂いたのが縁で、お互いエンジニア同士という事もあり本社の中にも特別に通されていたのだが、ある時にひっそりとした洗面所に行くと、そこに真っ白なスーツ姿に薄めのサングラスをかけた山内さんが颯爽と入って来られて、図らずもご一緒させて頂いた。そして一言も交わさずその場を立ち去られたのだが、まずは寡黙で静謐な方だなというのがその第一印象であった。

後に、さらなる共同開発に絡んで両社の思惑が錯綜し共同開発自体が頓挫する事態に陥ったのだが、電話口の向こうの山内さんは思いの外饒舌で、そのギャップに一瞬面食らったものだ。以降、お互いの得意とする方法論でビデオゲーム市場、そしてコンピュータエンタテインメント市場を共に拡大して来られたのは僥倖であった。

山内さんは、時に自らの意と異なる事柄や方向性に対して声を大にして警鐘を鳴らし、あえて厳しい批判もされた事もあったが、そのいくつかは正鵠を得たものだった。しかしプレイステーション発売に際して「あんなものが100万台も売れたら逆立ちして歩いてやる」と言われたとかという噂が一瞬メディアに流れ、よしとばかりに「いくぜ100万台!」のキャンペーンを打たせて頂いた。山内さん、もしかしたら今頃天国で苦笑いされているかな?

感謝をこめて…
  元ソニー・コンピュータエンタテインメント会長 兼 グループCEO
  久夛良木 健

週刊東洋経済2013年10月1日号

山田 雄大 東洋経済 コラムニスト

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やまだ たけひろ / Takehiro Yamada

1971年生まれ。1994年、上智大学経済学部卒、東洋経済新報社入社。『週刊東洋経済』編集部に在籍したこともあるが、記者生活の大半は業界担当の現場記者。情報通信やインターネット、電機、自動車、鉄鋼業界などを担当。日本証券アナリスト協会検定会員。2006年には同期の山田雄一郎記者との共著『トリックスター 「村上ファンド」4444億円の闇』(東洋経済新報社)を著す。社内に山田姓が多いため「たけひろ」ではなく「ゆうだい」と呼ばれる。

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筑紫 祐二 東洋経済 記者

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ちくし ゆうじ / Yuji Chikushi

住宅建設、セメント、ノンバンクなどを担当。「そのハラル大丈夫?」(週刊東洋経済eビジネス新書No.92)を執筆。

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山田 俊浩 東洋経済 記者

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やまだ としひろ / Toshihiro Yamada

早稲田大学政治経済学部政治学科卒。東洋経済新報社に入り1995年から記者。竹中プログラムに揺れる金融業界を担当したこともあるが、ほとんどの期間を『週刊東洋経済』の編集者、IT・ネットまわりの現場記者として過ごしてきた。2013年10月からニュース編集長。2014年7月から2018年11月まで東洋経済オンライン編集長。2019年1月から2020年9月まで週刊東洋経済編集長。2020年10月から会社四季報センター長。2000年に唯一の著書『孫正義の将来』(東洋経済新報社)を書いたことがある。早く次の作品を書きたい、と構想を練るもののまだ書けないまま。趣味はオーボエ(都民交響楽団所属)。

 

 

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