フェイスブックのAIがぶち当たった「限界」 最先端でも子どもの学習能力には勝てない
――さまざまなITサービスの中でも、フェイスブックのようなSNSはAIと親和性が高い分野ですか。
フェイスブックに限らず、今日のSNSはどれもAIなしでは存在しえない。なぜなら表示するコンテンツを高度に選択しないと、ノイズが多すぎるからだ。いかがわしいもの、不適切なものを機械的にフィルターにかける機能がない状態では、あっという間に危険なプラットフォームになってしまう。今のソーシャルメディアの規模を考えればなおさらだ。
残念なことに、悪いことをしようとする人々も、AIの目をどうにかすり抜けようと頭を使って新しい手法を編み出している。10年前には、(テキストの)キーワードを含むものを抽出して不適切性を判断していればよかったが、今はそれだけではまったく不十分。ソーシャルメディアの未来は、質のよい、高精度なAIなくしてはありえないといえる。
AIはまだまだ”インテリ”ではない
――今のAIの改善点、限界はどこにあるのでしょう?
アーティフィシャルインテリジェント(AI)と言われる割に、まだそんなに“インテリ”ではない点だ。今、機械学習は「教師あり学習」という手法が主流だが、膨大な量の例をAIに見せて学ばせる必要がある。たとえば、AIが温度のセ氏からカ氏への変換をできるようにするには、200~300の事例を読み込ませる。AIが「これはネコの写真だ」と認識するには、少なくとも1万枚程度のネコの写真を見せる必要がある。
人間の子どもならどうか。たとえば、ネコという動物を認識させたい場合、せいぜい5回くらいネコに遭遇すれば、「これがネコだ」という認識が生まれる。熱湯に指を突っ込んでやけどをしてしまったら、一度だけでその先ずっと覚えていると思う。AIは、最先端のものでも何千回と同じ経験をしなければうまく認識できない。
実はAIの教師あり学習という手法は、1980年代から30年くらい行われている。その間、裏側のアルゴリズムはほとんど変わっていなくて、やっと(収集できる)データの量とPCの計算能力が十分な水準に達し、機能し始めたのがここ5年だ。それと同時に専門家の間では、教師ありの機械学習は数年内に一定のポイントに到達できるという自信が生まれている。限界地点が見えてきた、ともいえる。
アウトプットの種類を考えても、教師あり学習には限界がある。不適切な写真をはじく、英語から日本語に翻訳する、交通規制通りに自動運転をする、チェスの試合をする、といった、ある程度シンプルなタスクの場合はうまく機能する。でも、感情豊かに人と対話したり、もっと深い推論を行ったりする能力は、今の教師あり学習の延長上にはないまったく新しい分野になる。
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