月収12万の私が自覚してなかった貧困の真実 「100%自分が悪い」と自らを責め続けていた
小林:もちろんそうです。そういうのを否定するわけではありませんが、やはり「結婚すれば抜けられる」という面はあります。また、自分の力で抜け出すには男性よりも女性のほうが仕事を探すのが難しいという問題もあります。そのなかで、女性が生活保護を受けながら1人で仕事を探して、こうやって社会に戻っていったという体験は自分としては伝えたかった点です。
若者の貧困は1990年代から始まっていた
――小林さんが新卒で働いた編集プロダクションは、月給12万円という破格に安い給料です。そこに疑問は持たなかったんですか?
小林:多分私が社会を知らなすぎたというのもあって。短大のとき、学校に来ていた求人自体が月給15万円とかが普通にあったんです。だから、12万円は少し低いのかもしれないとは思っていました。自分が生活できないのは節約していないからなのかなと。
雨宮:やりくりの問題(笑)。
小林:そうそう、やりくりが下手だからうまくいかないのだと思っていました。私と同じ学校の出身の子でも、歯科医の受付で月給15万円と言っていたので、「やっぱりそんなに変わらないから、私が悪いのかな」と思っていて。でも、正社員なのにボーナスどころか残業代も出ていなかったんです。だから、普通の給料がどれくらいなのかも知りませんでした。多分、東京都の生活保護水準って13万円か14万円くらいですよね。
雨宮:はい。その給料だと生活保護以下ですよね。
小林:そうです。若過ぎたのと、学校でもそんなこと教えてくれないから。厚生年金のこととか、大人になっても知らないことが改めて多いと思いました。もっと学校でも教えてくれないかなという思いもありましたね。
雨宮:でも、今の大学生や20代、30代の人だと、自分の身を守る方法としてブラック企業の見分け方とか、労働法を学ぼうという気もあるし、学校側もそういう教育が必要だと思っているんですよね。だけど、アラフォーの小林さんや私たちの世代は、いちばん無防備に野に放たれた世代という感じがします。
2006年くらいから「若者の貧困」が社会問題になってきましたが、本当は1990年代から始まっていたんです。当時、私はフリーターだったのでまさに月収は12万~15万円くらいでした。でも、自分たちが貧困だなんて全く気づいていなくて。だって、世の中はバブルが崩壊したと言っているけど、日本はまだ豊かだ、「生きづらい」なんて甘えている、みたいな見方をされていました。
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