「黒塗りメイクは世界では人種差別行為だ」 在日13年の黒人作家が書き下ろした本音
第2に、ブラックフェイスは害になり得るし、実際に害になっていることがある。日本に住むアフリカ系外国人だけでなく、多人種の血を引く日本人、とりわけ日本の学校ですでにはびこっているいじめの被害を受けやすい子どもにとってはそうだ。
2年前にミス・ユニバース日本代表となった黒人と日本人のハーフの宮本エリアナを取材したとき、アフリカの起源を併せもつ女性として日本で前例のない立場となった背景について聞いた。自らが日本人の血を完全には引いていないことで、いじめられ、苦しめられただけでなく、同じくハーフの友人も同様の扱いを受け、悲しいことに自殺にまで追い込まれたことを話してくれた。そして、このことが彼女を成功に導く力になったのだと語った。友人を死に追いやったいじめに向き合い、それに取り組む場を作り出したかったのである。
メディアが「外国人の扱い方」を左右する
日本の子どもの多くは、古い映画の愛好家でもないかぎり、エディ・マーフィという昔のコメディアンになじみは薄い。つまり、純真な日本の子どもがブラックフェイスを施した浜田雅功を見たとしても、それをエディ・マーフィだとは思わないのである。彼らの目には、黒人の外見的特徴を面白おかしく誇張した下手なモノマネが映るばかりだ。
これをこの番組の暴力性とあわせて考えた場合、たとえば学校のような場で、浜田ファンと遭遇する、多人種の地をひく同級生や外国人教師(10年前の私がそうだった)にとって、いい話ではない。だからこそ、ブラックフェイスは完全に無害である、とは言えないのだ。
特に浜田がやったように、ブラックフェイスが笑いの種として使われる場合、暗黙の偏見を助長する。そしてそれは、日本においてすでにしばしば見られる外国人の「他人化」を悪い方向へと導く、肌の色に対する感情や態度につながる。
幸いなことに、私に対して人種的なののしり言葉やヘイトスピーチを投げかける人はこれまでにいなかったが、お笑いであれ、ミュージカルであれ、ニュースであれ、日本のメディアにおける黒人描写の結果として生まれる世界観が、日本人が私をどう扱うべきかを日本人に伝えることになる。これがメディアの力なのである。
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