東京モノレール「20億人達成」に至る苦難の道 京急や高速バスの攻勢に「HKT48」で対抗

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さて、累計乗車人数20億人を達成した東京モノレールだが、これまでの道のりは決して平坦ではなかった。

東京モノレールはもともと、東京オリンピックを目的にやってくる羽田空港利用者の輸送のために1964年に開業した。はじめこそ物珍しさもあって1日あたり約5.5万人を輸送していたものの、オリンピック終了とともに乗客は大きく減り、1日あたりの利用者は少ない日で約2000人まで落ち込んでしまう。

乗車20億人を達成した東京モノレール(撮影:尾形文繁)

これにより経営が行き詰まりかけ、モノレール建設に大きく携わった日立製作所グループ傘下に入り、日立運輸(現:日立物流)・西部日立運輸と3社合併をした。その後1970年代にようやく経営が軌道にのり、1981年には日立運輸から子会社として分離独立した。1993年に現在の羽田空港第1ターミナルが開業すると、1日平均で約18万人が利用するようになった。それに合わせて年々輸送力を増強していった。

しかし、1998年に京急電鉄が羽田空港(現:羽田空港国内線ターミナル)駅まで乗り入れると状況は一変。京急に羽田空港輸送のシェアをじわりじわりと奪われ、逆転されていった。さらに2000年代になって空港連絡高速バスの路線が大幅に増えると、さらに羽田空港への輸送シェアは落ち、2005年にかけて年々乗客数を減らした。

そして経営面でも再び危機を迎える。1993年のターミナル移設に伴う路線延伸に際して発生した建設費の利子返済が重くのしかかり、親会社の日立物流にとって中核事業と直接関係のない東京モノレールの存在は重荷になっていた。

日立からJR東日本の傘下に

2002年に日立物流は東京モノレールの株式をJR東日本などに売却。東京モノレールはJR東日本の子会社になった。JR東日本は京浜東北線で昼間運行される「快速」の停車駅に浜松町を加えたのを契機に、同駅の乗り換え通路の改善や金融面からの支援を行った。東京モノレールでも運行列車のワンマン化をはじめ、JRと連携した企画乗車券の発売、快速の運行開始をはじめとした速達化などの施策を講じた。

HKT48がモノレールの乗り場を案内する(撮影:尾形文繁)

広告・宣伝活動では2004年頃から有名タレントを起用した広告を作っていた京急に対し、東京モノレールは後れをとっていた。そこで2007年には「空港快速」運行開始に際して大々的な広告・宣伝活動を行い、「待たずに乗れるモノレール」をPRした。

このPRによって一時は乗客が増えたものの、京急空港線の輸送力の大幅な増強も相まってその後は横ばいとなり、現在の利用者数は1日あたり約13万人にとどまる。京急やバスに奪われたシェアを回復するまでには至っていない。

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