「白鵬たたき」にみる日本型"イジメ"の構造 我々の屈折した「承認欲求」を直視し解放せよ
しかし、だからこそ大相撲のお目付役や親方衆にとっては面白くない。自分たちのほうが「偉い」はずなのに、白鵬に場を仕切られ、観客まで味方につけられてしまったからである。ただ明白な非行やルール違反がない以上、表だってそれを非難できない。そこで「品格」という便利な口実を前面に出したのだろう。
白鵬へのバッシングは今に始まったことではない。朝青龍が現役の時代には白鵬は模範力士として持ち上げられていたが、ヒール役の朝青龍が引退に追い込まれてから世間の風向きが少しずつ変わっていった。日本人力士なら許されるような取り口や些細な言動が問題にされ、だんだんと「強いが品格に欠ける横綱」というイメージが植え付けられていった。
それには伏線もある。たとえば人権問題には敏感であるべきNHKのアナウンサーや解説者さえ、大相撲実況中継のなかで事あるごとに「日本人の横綱がほしい」と口にし、館内でモンゴル人力士への差別的なヤジが乱れ飛んだときもそれをとがめようとさえしなかった。
バッシングの裏にある、屈折した承認欲求
私は「白鵬たたき」に日本社会特有のイジメの構造が象徴的な形で表れており、その背後には日本人の屈折した承認欲求が潜んでいるととらえている。
人間には他人から認められたい、ほめられたいという承認欲求がある。しかし日本の社会では魅力的な個性や優れた能力、卓越した業績をたたえる「表の承認」より、出すぎず、和を乱さないことをよしとする「裏の承認」風土がある。そのため承認欲求は他人への嫉妬や意地、メンツというような屈折した形で表れやすい。そして自分の承認欲求を満たすため、「出る杭(くい)」を打ったり、他人の足を引っぱったりする。他人の価値を下げることで、自分の存在感を示そうとするのである。
白鵬は恰好のターゲットになったわけだ。彼の突出した実力と業績は周囲の羨望を集め、外国人ということで日本人のナショナリズムにも火をつける。しかもNHKまであからさまに日本人びいきをするし、相撲協会からは厳重注意というお墨付きをもらった。そうなると、もうバッシングにブレーキはかからない。
さらに都合がよいのは、相手が大横綱であるという点である。とくにマスコミにとって、表面上は「強者」でありながら反撃の手段をもたない相手ほど攻撃しやすい標的はない。強者と戦う「正義の味方」を演じられるからである。
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