桶狭間の戦い「信長、5つの勝因」は何だったか 奇襲はウソ?「最新の日本史」を紹介

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今回も、よく聞かれる質問に答える形で、解説しましょう。

Q1. 桶狭間の戦いとは何ですか?

永禄3(1560)年5月19日に尾張国桶狭間で行われた、織田信長と今川義元との合戦です。これまで一般的に知られていた合戦の概要は、

① 大軍を率いて上洛を目指す義元に対して
② 寡兵の信長が
③ 桶狭間の隘路で義元が休憩したすきをつき
④ 迂回路を使って背後の山に回り込み
⑤ 突然の豪雨に乗じて「奇襲」を行って
⑥ 慌てふためく義元をその場で討ち取った

 

というものです。

Q2. 信長の「見事な勝利」といえますね。

非常にドラマチックな展開です。しかしそれゆえに、こうしたストーリーには疑問が持たれています。

実際、信長の家臣だった弓の名手・太田牛一(ぎゅういち)による『信長公記(しんちょうこうき)』には、上記のような「迂回しての奇襲」ではなく、谷沿いの最短ルートを進み、雨が上がった後に「正面攻撃」を行ったと記されているのです。

桶狭間はギャンブルだった?

Q3. 「正面攻撃」となると、信長は「無謀な賭け」に出たわけですね?

それは違います。

信長は「短絡的な人」「短気な性格」というイメージが強いですが、実はかなりの合理主義者でした。根拠がない、理屈が通らない物事を嫌います。

確かに、今川軍の襲来は彼にとって大きなピンチでした。しかし、彼は状況を冷静に受け止め、「最善の方法」を模索して「勝利への自信」を得たうえで、この決戦に臨んだものと考えられます。

Q4. では、「劣勢の信長」は、なぜ勝てたのでしょうか?

そこが大きな疑問です。

現時点でまだはっきりした結論は出ていませんが、それをひもとくための「いくつかのカギ」はあります。

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山岸 良二 歴史家・昭和女子大学講師・東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師

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やまぎし りょうじ / Ryoji Yamagishi

昭和女子大学講師、東邦大学付属東邦中高等学校非常勤講師、習志野市文化財審議会会長。1951年、東京都生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程修了。専門は日本考古学。日本考古学協会全国理事を長年、務める。NHKラジオ「教養日本史・原始編」、NHKテレビ「週刊ブックレビュー」、日本テレビ「世界一受けたい授業」出演や全国での講演等で考古学の啓蒙に努め、近年は地元習志野市に縁の「日本騎兵の父・秋山好古大将」関係の講演も多い。『新版 入門者のための考古学教室』『日本考古学の現在』(共に、同成社)、『日曜日の考古学』(東京堂出版)、『古代史の謎はどこまで解けたのか』(PHP新書)など多数の著書がある。

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