一流の男が「美容」におカネを惜しまないワケ フケ・耳毛・鼻毛は想像以上に見られている
この章句を三島由紀夫の『葉隠入門』は、そのように敵に対して恥じない道徳は、死のあとまでも自分を美しく装い、自分を生気あるように見せるたしなみを必要とするので、切腹の死化粧にも通ずるものである――と解説しています。
けれど自己陶酔した作家の個人的な美意識と、武士道とはなんの関係もありません。「風采があがらない」とは、容貌や容姿を整えていない人は風格に欠けるということです。戦国が終わって泰平の世となって武士道は成立しました。武家奉公人に求められたのは武術の腕ではなく、藩を代表して幕府や他藩と交際する周旋の才だったのです。才よりも先に風采があがっていなければ、交渉もなにもどうしようもありません。さらに他藩よりも主君や上役、また同役に下僚たちから信頼を得るためにも、風采をあげることは必須だったのです。
忠義の忠は「心の真ん中」を意味します。忠義とは「真心をつくす正しいもの」を意味します。江戸時代の武士は女房子どもよりも殿様第一だったのでしょう。その忠義の真心を貫くために、いつも鏡を見て、口紅やほお紅を携帯していたのです。自分を飾り立てるためではなく、御奉公の誠のための化粧というのですね。
鏡を見るのが柔弱だなんて、ヨーロッパの男子は三島のように、自分の見栄でしか考えられないのでしょうか。伝統もある、歴史も古い。日本男子、なかなかやるではありませんか。
男だからこそ美しくあるべき
世の中は変わりました。隔世の感です。日本男子のみなさん、いま真心を捧げるべき対象は誰ですか? ピンポン! 妻でなければ恋人、パートナーしかありませんよね。真心をつくすべき人のために美しくありたい、それでこそ「やまとおのこ」です。
男だからこそ美しくあるべきです。美は表象ではなく意思あるいは“覚悟”なのです。スキンケアに清潔を心掛けるだけでもパートナーが喜んでくれます。喜んでくれたら、気も上がるというものです。
いまや男も女もない、女性だって、真心をつくすべき人のために、より美しくなりましょう! 同時にパートナーをさらにいい男にしちゃいましょう。
「ほかの女性に狙われるから嫌」だって? ちっちゃい、ちっちゃい。狙われるような男性が自分のパートナーであることは誇りです。女の度量が計られます。
いい匂いのするいい男性を増やして、日本をさらに明るく、センシュアルな国にしていこうではありませんか!
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら