メキシコ地震、市民が見た心底恐ろしい光景 自宅付近の建物は今も倒壊しそうなまま

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メキシコシティの地理的な特徴の一つは、この街が湖を埋め立てて作られたということだ。つまり、地盤は極めて脆弱で、揺れがより強く感じられる。また、この街には耐震性を考慮せずに建てられた古い建物がたくさんある。幸い私が働くポランコにある建物の大半は新築で、耐震基準を満たす建物が多かった。

それに対し、私が住んでいるローマ・コンデサ地区は、極めて揺れが強かった場所の一つだった。帰宅途中、ポランコでは大きな被害をあまり見掛けなかったが、(地下鉄が止まっていたので)歩いて自宅に向かう途中、西半球最大のチャプルテペッック公園を通ったとき、初めて自分の目で被害の大きさを認識した。公園内には、重厚な彫刻がいくつも倒れて転がっていたのだ。

そして、ローマ地区に足を踏み入れたとき、ガラスや外壁の破片が散らばる建物の周囲に、警察が張り巡らせている黄色いテープが目に飛び込んできた。辺りは停電していた。幸い、私が住んでいた1930年代に建てられたビル(1985年の地震にも耐えた)は、一見したところ、ダメージはなさそうだった。ただ、すぐに中に入ることはせず、管理人と話したり、建物が倒壊しているかどうかを見極める方法をネットで調べることにした。

市民は積極的に救助活動を支援

もっとも、メキシコシティ事態の被害は深刻だった。地震直後には、ハカランダ並木が美しいメキシコシティの目抜き通り、レフォルマ通りにある建物の上階から撮影された映像では、市南部のさまざまな地域でもうもうとホコリや煙が舞っている様子や、一部では火災が発生し始めている様子を映し出していた。

別の映像は、いくつかの建物が崩壊するまさにその瞬間をとらえ、または消防署がどのように木っ端みじんに爆発したのかを映し出していた。街のあちこちで、ビルが倒壊していた。既報のとおり、その中には学校が多く含まれていて、がれきの下には子どもたちが数多く閉じ込められていたのである。親たちは、自分の子どもががれきの下にいるのか、それとも病院に運ばれたのか、運ばれたとしたらどこの病院に運ばれたのかわからず、右往左往していた。

倒壊した建物の周りには、マスコミを始め多くの人たちが集まっている(筆者撮影)

情報が徐々に増え、広がっていくにつれて倒壊した建物の周りにたくさんの人たちが集まってくるようになった。そして自発的に、生き埋めになっている人たちを救助するために、がれきを除去する作業に加わっていく。こうした情報の多くは、フェイスブックやツイッターに投稿され拡散された。そのおかげで、がれきの除去や救助作業を助ける人たちが集まり続けたほか、救助隊のための水や食べ物、シャベルや医薬品などを届けることもできた。

興味深いのは、多くの人がこうした物資を自転車やオートバイを使って届けたことだ。多くの人が、メキシコシティの交通事情をよく把握していて、物資を迅速に必要としている場所に届けるには自動車以外の交通手段がベターだと考えたためだ。

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