時代錯誤の「労働搾取」に若者が負けない秘策 無意味な「滅私奉公」を求める上司は無視せよ

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

いつの時代も、雇用されて働く側の労働者は安定した報酬を望む。職に不安を抱えながら働くことは生産性の低下をもたらし、企業にとっても個人にとっても損失が大きい。1929年に世界大恐慌のあおりを受けたとき、松下電器産業の創業者である松下幸之助は、雇用不安に動揺する工場職員の不安を和らげるために「生産は即日半減するが従業員は一人も減らさない」と約束をし、社員と社会からの信用を勝ち得た。同社はその後、急成長を遂げる。高度経済成長を前提とした終身雇用という「御恩」は、日本中の労働者に安定と安心をもたらし、従業員のエンゲージメントを高めたのだ。

「御恩と奉公」の時代は終わった

労働者は自由を投げ打って、長時間労働をいとわず、本業専念のために副業はもってのほかという意識で「奉公」をきちんと果たせば、生活の安定に直結する終身雇用や年功賃金という「御恩」を受けることができた。新卒一括採用から始まり、終身雇用に終わる「ゆりかごから墓場まで」流のメンバーシップ型の働き方が人口ボーナス期に最適化され、高度経済成長に寄与したという点は、世界の歴史を振り返っても例がない。ある種、この働き方は世界で最もイノベーティブな働き方だったといえるかもしれない。しかし、それは高度経済成長が終わりを告げるまでの限られた事象だった。

終身雇用や年功賃金といった制度は、数十年にわたって企業が安定的に成長し続けることを前提としたモデルだ。しかし、バブル崩壊によって企業がこうした恩恵を一切保障できない時代が到来してしまった。1988年生まれの筆者が物心ついた頃には、すでにバブルが崩壊し、失われた20年ともいわれる暗黒時代に突入していた。「御恩と奉公」からなる企業と個人の関係は、企業が個人に対して恩恵を提供することが保障できてはじめて成立する。逆に言うと、その保障がないのに「奉公」する価値はないのだ。

終身雇用という「御恩」がすべての従業員に保障できる会社はごくわずかにもかかわらず、長時間労働や副業禁止、転勤命令といった搾取をどの会社もやめようとはしない。「御恩と奉公」の時代はもはやとうの昔に終わっているにもかかわらず、いまだに企業側が「奉公」だけを社員に対して求め続けているという矛盾が、まかり通ってしまっている。

さらに厄介なことに、そうした搾取を求める経営者や上司側に矛盾したことをしているという自覚がない。なぜなら、彼らが20~30代の頃は「御恩と奉公」の関係性がまだギリギリ成立していて、平日は毎日終電まで、繁忙期は土日も返上で働き、自分がやりたいことよりも、会社から求められることを優先し、家事や育児は妻に丸投げする、といった滅私奉公型のワークスタイルが当たり前だったからだ。彼らはそうした「奉公」によって、昇進昇格という「御恩」を受けた、という成功体験がある。だからこそ、なんの悪気もなく、部下や若手社員に対して「会社に尽くせば報われる」という前提で奉仕することを求め続けるのだ。

次ページ「滅私奉公」から「活私奉公」へのシフト
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事