原発、爆発。そのとき、老人ホームは? 自分の家族と要介護者――。守るべき命の狭間で
ある職員は、避難したいけど残る職員が大変なのもわかっているので、避難を言い出せずにいるようでした。私もその辛そうな表情を見て察してはいましたが、人が減るのが怖くて声をかけることができませんでした。
「すみません。本当に、すみません。」
数日後、その職員は頭を深々とさげ、涙を流して避難したいと言ってきました。職員が減れば減るほど、本当は避難したいができない人への負担が増えます。あのときは、「頑張ろう」なんて、もう言えない状況でした。
私を含め、利用者とともに残り、避難に付き添った職員は、人手も物資もない介護がいつまで続くかがわからず、施設としてこの先どうなるのか、誰も先行きを示せないことにいら立っていました。どうなるかわからないという不安が、多くの職員の離職につながったという面もあると思います。
今も残る後悔
「俺は、あのときいなくなっちゃったからな」
少し落ち着いた後、避難した職員に連絡をとり、再度介護施設で働こうと声をかけると、こうこうこぼす人がいたんです。彼だけではありません。多くの職員が後ろ髪を引かれる思いで辞めていき、数年たった今でも避難した自分を責め続けているんだと思います。
あのとき、避難する、避難しないに正解はなかった。
利用者も大切だけど、家族も守らなければいけない。実際の被ばく量もわからず、将来どんな影響が出るのかもわからない。これからどうなるのか先が真っ暗闇の中で、そのとき家族と避難すると決めた道が悪いなんて言えないはずです。避難した職員は自分を責めないでほしいと思います。
お知らせ
2013年9月11日に著者の基調講演会(わかりやすいプロジェクト主催、東洋経済新報社、福島県社会福祉協議会老人福祉施設協議会、日本医療政策機構後援)を行います。詳細、お申し込みは「わかりやすいプロジェクト」ホームページまで。入場無料。
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