今夜は刺身!と言いたくなる、すごい版画 70年前の魚・版画マニアの、恐るべき執念

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たとえば次のメバルも、ゴツゴツした岩と海藻の間を泳ぐ様子が描かれている。

『メバル』 『大日本魚類画集』より
1938年2月 姫路市立美術館蔵

画集に登場するのは、カツオ、伊勢海老、タコ、アマダイなど、食卓に上るものが多い。ただ、実物を近くで見て写すことを心掛けていたというから、72種類を集めるのは大変だっただろう。

さらに麥風は原画を担当しただけではなく、自分の思いどおりの木版画に仕上がるように、校正にも立ち会った。というのは、『大日本魚類画集』は、江戸時代の浮世絵の伝統を受け継ぎ、原画を描く絵師=麥風、版木を彫る彫師、刷り上げる刷師の分業で制作されたのである。刷り見本の紙には、「墨のぼかしをやわらかに」「太い線を細く」といった麥風の細かい指示が書き込まれている。

当時すでに浮世絵の人気は衰え、経験豊かな彫師も仕事を失っていた。肉体労働で生計を立てていたベテラン彫師を探し出してきて、腕を振るってもらったのだという。

画集のキャッチコピーは「原色木版二百度手摺」だった。何度も何度も重ね刷りをして、微妙な色彩を表現したのである。魚の腹の部分には、雲母刷(きらずり)といって、雲母の粉をつけてキラキラさせる手法も使われた。「版元の西宮書院は、以前にも何十度も重ねて刷った版画の画集を出していて、それを超えるものを作ろうということだったようです」と清水さんは話す。

題字は谷崎潤一郎と徳富蘇峰が書き、洋画家の和田三造が監修するなど、版元としてもかなり気合の入った企画だったようだ。版元、大野麥風、彫師、刷師のそれぞれが力を注いだ結果、後世に残る画集が誕生した。1937年から1944年まで、戦時中にもかかわらず発行が続けられたのだった。

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