あの伝説のゲーム、「電車でGO!」の誕生秘話 ブームの仕掛け人が明かす「ヒットの理由」
さらに最悪のタイミングで音楽を決定する豊田。ゲームセンター版「電車でGO!」全国大会の決勝戦が新宿アルタ前で行われた時に出演したタイトーの音楽チーム「ZUNTATA」がライブで演奏した「電車で電車でGO!GO!GO!」を聞き、「これだ!テレビCMに使う曲はこれしかない!」とジェイアール東日本企画に持ち込んだのだ。
「今なら、それがどんなに迷惑なことがわかる」と反省する豊田だが、当時はまだ若かった。広告代理店としては案がフィックスし、制作の段取りを始めた時点でメーカーから入る音源のごり押しがうれしいわけがない。
しかし予算の大半を占める、このテレビCMの成功に向けて必死だった豊田は、わずか15秒間に「電車で電車で電車で電車でGO!GO!GO!GO!」が2回入るインパクトの強いこの楽曲をあきらめきれなかった。そして、この曲との付き合いは実に10年間続くことになる。
中高年の取り込みに大成功
1997年当初、テレビCMは発売日直前の2週間だけ流れる短期集中投下プラン。腰に電車の着ぐるみを装着したスーツ姿の4人の“おっさん”が、下町の路地裏で妙にキレのよいダンスをしているCMは、20年経った今でも十分インパクトがある。
そのダンスにも誕生秘話があり、気づかされるものがあったと豊田は言う。このCMを作るために「おっさんダンサーズオーディション」が開催され、次から次へと現れるおっさんダンサーが自由に「電車でGO!」の音楽に合わせて踊る。なぜか全員が全員、腰のあたりで手を回し、蒸気機関車の真似をする。
「音楽は“電車で、電車で”と連呼しているのに、なぜ蒸気機関車なのか」と考え、気づいたのは「おっさんダンサーズはみんなSL世代なんだ。みんなの心の中には鉄道が思い出として残っている」ということだった。
「この層がゲームで遊んでくれたら!」とオーディションをやりながら、豊田は手応えを感じた。
かくして、「電車でGO!」は、同年に発売されたソニー・コンピュータエンタテインメントの「みんなのGOLF」と並んで、家庭用ゲーム機市場に中年層を取り込んだソフトと呼ばれることになる。
20年前、本気で1本のソフトを売りたいと願い、鉄道がエンターテインメントとなった瞬間、そしてその市場に目を凝らしていた経験が、現在の鉄道エンターテインメント作家としての豊田巧につながっているに違いない。
(一部敬称略)
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