あの伝説のゲーム、「電車でGO!」の誕生秘話 ブームの仕掛け人が明かす「ヒットの理由」

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追加の注文もないまま発売日を迎えようとしている。自分も首を洗って待っていないといけないのかもしれない。そう覚悟を決めた豊田だったが、翌日起こった出来事は、その後の豊田の人生を左右する、鉄道エンターテインメントの夜明けだったことを後から知ることになる。

家庭用ゲーム「電車でGO!」は100万本を超える大ヒット(©TAITO CORPORATION 1996 ALL RIGHTS RESERVED.)

その記念すべき発売日当日、1997年12月18日。タイトーには朝から問い合わせの電話が殺到した。発売2日目から売り切れが発生し、その週末には在庫の10万本を完売、急きょ増産態勢に入ることになった。結果的に2カ月後には80万本、最終的には100万本を突破し、豊田も上司も責任を取るどころか、うれしい悲鳴のあがる大ホームランとなった。

そもそも「電車でGO!」というゲームは、電車の運転士になり、定刻に遅れないようホームにぴったりと到着する鉄道(電車)運転シミュレーションゲームである。このゲームについて考えるとき、豊田はいつもある言葉を思い出すようになっていた。

「お金さえあれば、飛行機もスーパーカーも船も免許を取って運転することができる。でも電車は鉄道会社の社員でないと運転できない乗り物だ」

ということは、そんな「電車を運転してみたい」と心のどこかで思っていた層が100万人はいるということではないだろうか。

その証拠に、ゲームソフトと同時に発売された「電車でGO!専用コントローラー」はソフト以上に多くの問い合わせがあり、当時は市場で「見ることすらできない幻の商品」と言われた。プレステのコントローラーではなく、運転席を模した専用コントローラーを使うことによって、本物の運転手気分を味わえるという商品である。

ゲームをしないサラリーマンが熱狂

思った以上に、鉄道というジャンルにはファンが多いのかもしれない。普段は特に鉄道を意識していない層の中にも、潜在的に鉄道や電車を楽しみたいと思っている人がいるに違いない。だからこそプレステで遊ぶ家庭用ソフトとして提供された結果、100万本という数字が達成できたのではないのだろうか。

「“鉄道”という趣味を、わかりやすいエンターテインメントに落とし込むことができたなら……」。そんな思いをかすかに抱いたのは、その頃だと豊田は言う。

フタを開けてみればミリオンヒットとなった「電車でGO!」ではあるが、そこに至るまでに豊田が仕掛けた宣伝の数々を振り返ってみる。

まず、豊田が最初にヒントにしたのはプレステ版に先駆けて大人気となっていたゲームセンター版「電車でGO!」だった。

ゲームセンター版「電車でGO!」は、ゲームに詳しい常連客から人気に火がつき、気づけば普段ゲームセンターに来ないようなサラリーマンや年配の方々がプレーしている姿を見かけるようになった。

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