あの伝説のゲーム、「電車でGO!」の誕生秘話 ブームの仕掛け人が明かす「ヒットの理由」
普通のサラリーマンたちが「小学生の頃、Nゲージを作っていたよ」「チャレンジ2万キロって覚えている?」といった会話をゲームセンターでしているのを聞き、豊田ははたと気づいた。
「この人たちは、かつての鉄道ファン、SLブーム世代や、ブルートレインブーム世代だ!」
自らもまた小学生からの鉄道ファンだった豊田は、同世代のサラリーマンたちやシニア層がゲームセンター版「電車でGO!」に興じるのを見て、自分の中にある鉄道への強い愛着と郷愁を再確認したという。
ゲームセンター版「電車でGO!」のファン層は瞬く間に拡大した。白手袋を持参する「なりきり運転士」や、実際の電車にはない計器や画面表示をカバンで隠し実際の電車と同じ条件にして遊ぶようなリアリズムを追求する人もいれば、鉄道ファンの親に連れられた子どもたちもいる。ほかのゲームとはまったく違う顧客層の広がりを見たとき、「知ってもらえさえすれば、家庭用ソフトにしても買ってもらえる!」そう確信した。
そう、どんなにゲームソフトが面白くても、ゲームセンター版が大人気となっていたとしても、公約の100万本を売るには、広く一般層に向けてプレステ版「電車でGO!」を知ってもらわねばいけない。
広く人々に認知してもらい、購入してもらうためには何をすればいいか。まず豊田が行ったのは、「電車でGO!」の宣伝全般を担当する広告代理店「ジェイアール東日本企画」に相談することだった。
広告代理店も困った
「このソフトを100万本売るためのイロハを教えてほしい」
こんな突拍子もない申し出を受けた当時の担当者だった、ジェイアール東日本企画の杉山裕二営業統括・推進局長はこう語る。
「正直言って、広告代理店としていちばん困る質問をまっすぐにぶつけられた、と思いました。でもタイトーのゲームセンターに行き、電車でGO!で遊ぶスーツ姿のサラリーマンを見て、そのソフトの潜在力を確信し、鉄道系であるわが社が挑まずにどうするのだと、豊田さんの気持ちに最大限、応える決意をしました」
杉山氏は続ける。「豊田さんからオーダーを受けたのは、1人でも多くの人に情報を届けたいとのことだったので、テレビCMをおすすめしました。20年前だからこその案ですね」
その案に乗り、テレビCMを作るに当たった豊田にはどうしてもやりたいことが2つあった。それは「音楽に乗せて電車でGO!というタイトル名を連呼すること」「インパクトのある内容にすること」である。
ジェイアール東日本企画の提案の中で豊田が食いついたのが「ケンケンパ案」だった。下町の路地裏で、おっさんたちが電車の着ぐるみを着て暴れまくる。こんな案を社内で提案した豊田に「あいつはセンスが悪いんじゃないか?」そんな声がささやかれた。
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