41歳経営者は全財産を失っても立ち直った IMJ竹内CEOの痛快キャリアストーリー
1年後、野村證券を辞め、リーマン・ブラザーズの仲間とともにクロスポイント・アドバイザーズを設立。再度、独立したのです。ただ、メンバーの招集が思いの外うまくいかず、しばらくは1人で事業を行っていました。
2011~2012年ごろになると、ようやく事業も軌道に乗りはじめました。そのとき、久しぶりにCCCの増田さんから連絡があったのです。「一緒に仕事をしないか」、と。
ただ、ペットショップの一件もありましたので、「会社としての依頼であればやりません」と、キッパリ断りました。それで増田さん個人と仕事をすることにしたのです。
CCCのMBO(マネジメント・バイアウト)による非上場化やグループ会社の売却・購入など、再編に関するさまざまなアドバイスをしました。そのうちのひとつがCCCグループのIMJです。もともと外部からお手伝いをしていたこともあり、よく知っている会社でした。
IMJの業績は最悪だった
――その後、IMJの改革に取り組みました。
当時、IMJの業績は最悪でした。もともとIMJはウェブ制作会社ですが、4期連続最終赤字ということもあり、「そもそもこの業界自体がもうダメなのでは?」と考えたほどです。結局、MBOによって非上場化をすることになりました。
その後、会社の立て直しに奔走することになります。社内で若手の有志が集まり、次世代の経営を担おうという動きもあり、その人たちとも話をしました。2012年春のことです。それで私がCFOとして参画することになったのです。
CEOになったのは2015年の1月。業績も回復し、再上場まで視野に入るほどになりました。ただ、そのままでは上場審査に通らないため、さまざまな改革を実行しています。
――どのように業績を回復させたのでしょうか。
話を聞いた当初は、業態そのものが厳しい状況。有り体に言うと斜陽産業なのではと思っていました。しかし中に入ってみると、そんなことはない。では何が問題だったのか。
実は、メイン事業である大型サイトの構築をはじめ、プロジェクト管理がうまくできていないだけでした。
そこでまず、個々のプロジェクトごとに収支管理を徹底し、問題の芽を先手先手で摘み取るとともに、利益を出しづらい案件はこちらからお断りすることにしたのです。すると、初年度から大きな利益が出るようになり、以降は毎年、過去最高益を更新し続けています。
また、買収で大きくなってきた会社ということもあり、出身母体に応じて社内が縦割りになっていました。いわゆる相互不可侵の部族連合というイメージです。そうすると、各部門の代弁者である経営メンバーに至るまで全社視点を持てておらず、またお互いに厳しいことが言いにくくなってしまう。そこも改革しました。
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