「小林カツ代」人気再燃は何を意味するのか 没後3年、レシピ本やエッセー本が続々発売
「私は『家庭料理』って言葉の裏に、ねちっ、どろっとしたものを感じてしまうの。そこには、家庭=主婦=食事を作る人、という図式がもう見え見え。(中略)相変わらず、『家庭料理』って言葉の裏には、料理を作れない女性に対して、男性が権威をふるっているように感じてしまう」
「たかが命をつなぐための食べているだけなのに、大騒ぎしなさんなって言いたいですよ」
未発表の1990年代初頭の原稿である。この頃、男女雇用機会均等法第1世代の女性たちが結婚する時期を迎える一方、少子化、晩婚化の傾向が明らかになった。家庭責任の重さと仕事との両立の難しさが、女性たちを結婚から遠ざけている側面もある。
今の時代に合ったレシピと哲学
やがて、揺り戻しのようにカリスマ主婦という言葉がもてはやされ、妊婦写真がはやる。主婦であること、母であることが特権化される時代へと向かう。
そういう時代への反動がここ数年高まっているのかもしれない。「保育園落ちた。日本死ね」のブログが国会で審議されるほど話題になったのは去年のこと。いまや子どもを持って働き続けるのは当たり前。一方で、進むシングル化はもちろん女性だけの問題ではない。
家に主婦がいないことが当たり前になった今、日々の料理は簡単にしなければ暮らしが回らない。だからこそ、シンプルな手順でおいしい小林のレシピが再発見される。そして「『料理は手をかけるほどおいしくなります』なんて、そんなのウソ」(『食の思想』より)といった語録が必要とされている。それは彼女が、素材や料理法の化学的側面をよく理解していると同時に、定石を疑うことができたからだ。
レシピを考案するには創造力が欠かせない。幅広い層に受け入れられるレシピを提案するには、想像力が必要である。若いころ、アーティストを志していた彼女は新しいものを生み出す素質を、料理という分野で開花させた。
たとえば、唐揚げを少ない油で作る。弁当に入れるこんにゃくやがんもどきは、前夜に調味液に漬け込み、翌朝3分煮立てれば完成。総菜の活用もOK。味にムラがあっても、かえって食べ飽きない料理と肯定する。「できない」と尻込みする人の背中を押し、「おいしいことが1番」と笑顔で伝え続けた彼女の料理哲学は現在も通用する。むしろ、多忙な人が増えた今だからこそ、その哲学とレシピが切実に求められている。倒れる直前によく言っていたという「私が死んでもレシピは残る」という言葉どおりの現在がある。
(敬称略)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら