圓歌師匠が、「年寄りが佃煮にするほどいる」と言うと客席はどっと沸く。「朝、6人でまるーく卓を囲んでお茶を飲んでいる。遠くから見るとまるで恐山だよ」――それって遠からず、この国に生じる事態ではあるまいか。
母親たちが朝、散歩していた。そこへトラックがやってきて轢かれそうになった。江戸っ子と思しき運転手が「ぼやぼやしてると轢き殺すぞ」と怒鳴る。すると母親がやり返す。「笑わせるんじゃねえ。昔は人が車を引いていた」――いいねえ、この時代感覚。
ある日、母親が圓歌師匠に向かって「親孝行してもらったから、子孝行して死んで行くよ」と告げる。翌朝、弟子が起こしに行ったら、母は蒲団の中で息を引き取っていた。病院の世話も、下の始末も一切なしにあの世に行ってくれた。まことに「子孝行」であった。
そしてこんな狂歌が噺の「下げ」となる。
年老いて 万事枯れゆく 昨日きょう むさくるしさに なるまいぞゆめ
ジェロントロジーは一段と重要性を増す研究分野に
昨今の寄席は、お客の大多数が高齢者である。圓歌師匠が年寄りイジメのようなネタを振ると、客席が爆笑で応える。なにせ言ってる本人が80代なのだから、寄席の空気はとても暖かい。この国に落語があって良かったなと思う瞬間である。
最近になって、「ジェロントロジー」という言葉があることを教わった。要は「老年学」ということで、長寿化、高齢化が進むと社会経済にどんなことが必要になるかを研究する学問である。なんと慶応大学経済学部には、「フィナンシャル・ジェロントロジー研究センター」なるものもできている 。今後、一段と重要性を増す研究分野であろう。
人類の歴史において、かつて平均寿命は非常に短かった。ローマ時代には、生まれてくる子どもの半分以上が10歳未満で死亡していたというデータが残っている。若年死亡率が低下して、平均寿命が急速に延びるようになったのは、せいぜい産業革命が始まった18世紀中盤以降である。
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