観光客激減、エジプトに日本人客は戻るのか "春"から遠く離れて
DCI担当者も、
「エジプト航空が日本市場からのニーズがあると再認識したことが、なにより大きいでしょう」
と言葉をそろえる。そしてどちらもエジプト航空の定期運航について、早期の本格再開に期待を示す。
消えた日本人観光客
観光業はエジプト経済における重要な柱だ。就業人口の1割以上を占め、最大の外貨獲得源でもある。
しかし、2011年のエジプト革命、いわゆる「アラブの春」以降、エジプト国内の観光業は苦境が続いている。革命前の2010年には過去最高の1470万人の観光客が訪れたが、翌年には一気に1000万人を割り込み、現在までまったく回復していない。
「特に日本人は見なくなった。外国人でいちばん多かった日本人の客はいったいどこに消えちまったんだ」
エジプト南部、ルクソールの土産物屋街で親日家の主人が嘆く。ナイル川を挟んで「王家の谷」や「カルナック神殿」といった遺跡が点在するルクソールは、ピラミッド観光の拠点である首都カイロと並んで外国人に人気の観光地。もちろん多数の日本人観光客も訪れていたが、その落ち込みぶりは他国に比べてかなり極端な様子である。
エジプトへの邦人渡航者数(観光客が大部分を占める)は、政変直前の2010年が過去最高で約12万6000人。それが2014年は約1万2000人、15年は約1万6000人と、なんとほぼ10分の1になってしまっている(外務省統計)。
かつては毎日約1万人が訪れ、その観光収入で潤った面影は現在のルクソールにはない。
市中心部で観光馬車の仕事をするアブラハムさんは、もう数週間も客にありついてないと話す。同じく仕事のない同業者とともに、閑散とした町で彼は一日中座る日々が続く。早朝から「王家の谷」の上空を埋めた観光気球もいまは数えるほどだ。ナイル川クルーズの大型船は河岸につながれたままで、毎夜そこでショーを繰り広げたベリーダンサー、ミュージシャンたちは職を失い自宅に引きこもる。
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