トヨタも勝てない「スズキ」インド戦略の要諦

現地取材でわかった圧倒的強さの理由

街角にて(筆者撮影)

しかし、一歩オールドデリーの市街地へ入るなら、30年前とさほど変わっていない世界が目の前にあった。ホコリっぽいなぜか穴だらけの路側帯には、犬や牛などとともに多くの路上生活者たちがうごめく。私はかつてと同じように彼らに囲まれてしまい、なかなか前へ進むことができなかった。表面は大きく変わったものの、新旧、そして富裕と貧富といった、相対するものがごちゃ混ぜに並ぶインドという国の根本は、まったく変わっていないことにもあらためて気づいた。

その変化の中でも最も劇的であったのは、デリー市街の道を埋め尽くす車たちであった。かつてインドで見られる車といえば、ヒンダスタン・モーターズが生産するアンバサダー(1950年代の英国のモーリス・オックスフォードをベースとするノックダウンモデル)と同様にノックダウン生産されたフィアット1100Dであり、これ以外のモデルを街中で見掛けることはめったになかった。ほかには名前もわからぬトラックや「オートリクシャー」と呼ばれる屋根付き三輪車であった。これもイタリアのピアッジョ製のノックダウンモデルが独占し、2サイクルエンジン独特の排気ガスをまき散らしていた。

インドの道を占領する日本車

ところが現在のインドの道は日本車に占領されていた。日本には導入されていないアジアの発展途上国向けの小型モデルが中心であり、2ボックスだけでなく、リアにトランクの付いた3ボックスのセダンがより多く見られた。インドメーカーのタタ、マヒンドラのほか、日本車はトヨタ自動車、ホンダ、スズキが見られるが、何といってもその大半を占めるのがスズキだ。

伊達氏とソーラブ氏(筆者撮影)

ただ、これらの車は「スズキ」と呼ぶのも「日本車」と表現するのも正確に言えば正しくない。インドを走るスズキは正しくはマルチスズキという1981年に設立したスズキとインド国営会社との合弁会社によって製造されている。現在では単に日本車をそっくりそのままの形でノックダウン生産するのではなくデリー近郊のグルガオン工場と少し離れたマネサール工場で開発から製造までが一貫して行われている。現在は「アルト」「ワゴンR」「スイフト」「スイフトデザイア」など多彩なラインナップを持っている(注:日本の同名モデルとはまったく異なるものもある)。であるから、これらは厳密な意味では日本車とは呼べないかもしれない。

「全従業員は1万3000人くらいですが、その中で日本人は100人もいません。インドの人たちも私たちのことを日本のメーカーとは思っていないでしょう」。スタイリング開発のアドバイザーを担当する伊達氏とマルチスズキのスタイリング開発チーフであるソーラブ氏もマルチスズキがインドに根付いていることを自慢げに語る。

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