フランスの「恋愛至上主義」は歴史ある文化だ 日本人も「堪え忍ぶ」タフな恋愛をしてきたが
第5共和政の大統領フランソワ・ミッテランは配偶者との子のほかに愛人の子がいて、記者からそのことを質問された際に「Et alors ?(エ・アロール:それが何か?)」と答えたことは有名です。だって彼の配偶者にも他に愛人がいたのです。
現職のフランソワ・オランドは、政治家である事実婚妻との間に4人子どもをもうけた後、ジャーナリストの女性をエリゼ宮に招いて同棲し、さらに女優との不倫が暴露され、低迷する支持率が上がりました。
次期大統領の最短距離にいるエマニュエル・マクロンは現在39歳。その妻ブリジット63歳ですが、出会ったのはマクロンが15歳のとき。18歳から交際を始め、29歳で結婚しました。2人の間に子どもはいませんが、ブリジッドの子どもに計7人の孫がいます。ブリジッドはマクロンの入った高校の国語教師で、出会った時点では既婚者で、すでに3人の子持ちでした。これはどっちが強者なのか、難しいところですね。
日本人も「タフな恋愛」をしてきたはずだ
フランス人の強靭な恋愛体質を目の当たりにすると、魚と菜っ葉で育ってきた日本人はタジタジとなります。レディファーストなんてやったこともないし、そんなキザったらしいこと恥ずかしいに決まってる!といったところでしょうか。
けれど、日本人はそれほど恋愛オンチなのでしょうか。昔からずっと愛や恋のやり方も知らない、幼稚で子どもみたいウブだったのでしょうか?
そんなことはありません。元禄時代の近松浄瑠璃を見てください。『曾根崎心中』のお初と徳兵衛の道行きは泣かせます。「此の世の名残、夜も名残。死に行く身をたとふれば、あだしが原の道の霜」。堂島新地天満屋の女郎はつと内本町醬油屋手代徳兵衛が、天神の森で心中したのは4月7日の早朝でした。2人は世間の義理や妨害を払いのけ、恋を貫くための命を懸けたのです。「誰が告ぐるとは曽根崎の森の下風音に聞え、取伝へ貴賤群衆の回向の種、来成仏うたがひなき、恋の手本となりにけり」。露天神社は今もお初天神の名で、人々に恋の美しさを偲(しの)ぶところとなっています。
町人ですらこうなのですから、武士ともなるともっと堪え忍びます。同じころに武士の心構えを諭した『葉隠』という書では、「恋の至極は忍ぶ恋と見立て候」と説きます。「逢ひてからは恋のたけ低し、一生忍んで思ひ死することこそ恋の本意なれ――思いが通じて結ばれてからは恋心は急降下する、本当に好きであれば死ぬまで思い続けて思い死にするのが至高の恋だ」と言うのです。自分が死んだ後で思った相手が「あぁやはりそうだったのか」と気づけばいいのだ、と。
これほどタフな恋心はないでしょう。日本人だって、ちゃんと恋をしてきたのです。爛熟でも退廃でもない強靭な恋を! 私はその感性のたぐいまれな美しさ、センシュアリティに感嘆します。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら