ソニーとDeNA、創業期の「引き抜き」事件 「欲で経営をしてはいけない」

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これは『不格好経営』の巻末の謝辞にも記されているエピソードだ。こうしたトラブルもあり、DeNAの大株主だったリクルートは株式の売却を決め、両社の関係は切れてしまう。その経緯は同書の本文で次のように描かれている。

「1年前に金策で走り回った春田と私は、今度はリクルートが手放す約24%の株式の受け入れ先を探して走り回ることになる。正直、この時期になぜ? 事業に集中させてほしい、という気持ちは強かった。このことで、リクルートの関係者の中には、私がリクルートを恨んでいると思っている人がいるようだが、それはない」

ソニーの創業期に起きたこと

一方の三輪緑四郎さんである。緑四郎さんは早稲田大学理工学部を卒業後、1951年に興和に入社。その際に父親の三輪常治郎社長に命じられたのが、1946年の創業から、まだ日も浅い東京通信工業(東通工、現ソニー)に出向することだった。興和は東通工の株主でもあり、東通工の製造した測定器やテープレコーダーなどを販売する商社機能を担当していた。興和からは技術に明るい有能な若手社員、総勢20人ほどが出向していたという。そのリーダーが緑四郎さんだった。

興和がエンジェルとして東京通信工業の創業を助けることになった縁は、父親同士のつながりだという。三輪常次郎氏は1946年8月から1950年1月まで、名古屋商工会議所の会頭を務めていた。その常次郎氏を訪ね、「息子の会社を助けてやってほしい」と依頼をしたのが、盛田酒造当主で、盛田昭夫氏の父親である命英(久左衛門)氏だった。その求めに応じ、常次郎氏は出資をしただけでなく、子息を出向させたわけである。

東通工創業時の大きなスポンサーが三井銀行だったことはよく知られているが、それに加えて、名古屋財界企業の支援もあったわけである。興和の持つ信用力が、創業間もないベンチャー企業を支えたことは間違いない。

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