でも、考えないから、子どもなんです。あの人たちは、過去の重荷も引きずっていませんし、自分の将来についてもほとんど何も考えていません。ただひたすら、「今・ここ」に自分のすべてを丸ごと注ぎ込んで、今、満開の花として生きています。だから、かわいらしいし美しいのです。だから、直らないのです。これが子どもの本質ではないでしょうか。
子どもに吸収力があることとは別問題
このように、「子どものうちなら直る」は大人たちの集団的勘違いです。では、なぜ勘違いしてしまったのでしょう? それは、子どもたちがある一面でものすごい能力を発揮するからです。
たとえば、筆者が小学2年生の子どもたちに「わにのおじいさんのたからもの」という物語を音読させたときは、8ページほどの文章を1週間もたたないうちに丸暗記してしまう子が続出しました。筆者が中学生の甥に将棋を教えたとき、彼はわずか3カ月で私よりも強くなりました。
義弟一家がアメリカに赴任したとき、2人の子どもたちは大人たちよりはるかにはやく英語を話せるようになりました。筆者の知人一家は親子で一緒にゼロからフルートの練習を始めましたが、娘さんはどんどん上達して、1年後には知人夫婦は娘さんに教わる立場になりました。
子どもは、乾いたスポンジのように吸収力が抜群で、新しいものをどんどん吸収します。本人に強いモチベーションがなくても、大した努力をしなくても、入れれば入ってしまうのです。それを見て、大人たちは「子どもってすごいな。だったら、子どものうちなら困った性格や短所も直るだろう」と思い込んでしまったのではないでしょうか。
ところが、困った性格や短所を直すというのは、何もないところに新しいものを吸収するということではないのです。もうすでにその子の中には持って生まれた資質というものがあり、それを自己改造するということなのです。そして、この2つは全く異質のことだと筆者は考えます。
そのためには、まず第1に本人の強烈なモチベーションが必要であり、それに基づく強い意志力も必要です。場合によっては長期にわたる継続的な努力も必要です。ところが、先に書いたように、子どもは本質的に自己改造への強烈なモチベーションを持つことができないのです。
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