あいりん地区に見る「生活保護のパラドクス」 日本が直面する「社会的孤立」がここにある
あいりん地区では、見知らぬ者同士が路上で会話をしたり、酒を酌み交わしたりすることが少なくない。町中に林立する居酒屋からは昼夜関係なくカラオケの歌声が陽気に響いている。一人で立ち飲み屋に足を運んでも、誰かしら声をかけてくれ、会話に困ることも少ない。安くてフレンドリーな雰囲気を求めて、近年はあいりん地区外から足を運ぶ者も多くなっている。
また、私が現場実習のために学生を連れていると、必ずと言ってよいほど、あいりん地区に暮らす中高年の男性たちが気さくに声をかけてきて、町の説明をしたり、自分の人生を語ってくれたりする。あらかじめ依頼していなくても、「語り部」に事欠くことはないのだ。
このようにあいりん地区は社交的な側面をもつ。一方で、「互いの過去に踏み込まない」という不文律(=不関与規範)が存在する。すなわち、その場限りの当たり障りのない会話は頻繁に見られるが、人間関係を長期的に構築したうえで、プライバシーにかかわる話を交わし合うことは一般的ではない。社会学者の青木秀男氏は寄せ場に特徴的な社会規範を次のように説明している。
「寄せ場は、日雇労働者の流動的な匿名社会である。そこで人びとは、互いの出自や経歴を問わない。また問うことをタブーとする。人びとは名前を通称で呼びあう。それが本名であるかどうかは、問題でない」(青木秀男『寄せ場労働者の生と死』)
生活保護のパラドクス
では、なぜこうした社会規範が寄せ場で生じるのだろうか。この問いについては、社会学者の西澤晃彦氏が明確に論じている。
「寄せ場労働者が、漂泊者たることを選んだあるいは選びとらされたのは、何らかの『事情』―彼らが持つ烙印ゆえの『世間』における『肩身の狭さ』、被差別体験、事業の失敗、離婚による生活の激変、借金からの逃亡、解雇といった様々な人に言いにくい事情―を直接、間接の理由としていることがかなり多いように思われる。それゆえに、彼らは、自分たちの過去を隠匿しようとするのである」(西澤晃彦『隠蔽された外部』)
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