保護者は子どもの指導を学校に丸投げするな 「教育困難校」の教師は追い詰められている

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都市近郊の「教育困難校」もその地域では比較的足の便の悪い場所に建てられた学校が多いが、家族による送迎はほとんど見られない。学校が終わる時刻に校門前に待っている自動車は、女子高生の「カレシ」や男子高生の「センパイ」のものだけだ。

万引や恐喝などの事件を起こし生徒指導の対象になった場合、生徒は未成年なので必ず保護者も学校に呼び出される。自分の子が犯罪行為をしてしまったのだから、保護者は何を差し置いても学校にやってくると思いきや、都市近郊「教育困難校」ではやはり「忙しい」という理由で来校を渋る保護者は珍しくない。「学校で起こした事件なんだから、学校で適当に処分してください」と、子どもの指導を学校に丸投げしようとする保護者もいる。

学校の指導を尊重し、協力しようという思いが伝わる

しかし、地方の「教育困難校」ではまったく様子が異なる。事件の連絡をしたときから、保護者からは「こんなことをしてご近所に恥ずかしい」といった意味の言葉が何度も発せられる。そして、実際の指導の場では非常に申し訳なさそうに子どもの傍で身を縮め、生徒が処分に不服そうな顔をしていると頭を小突いてでも謝罪させようとする。その姿勢からは、学校の指導を尊重し、学校に協力しようという思いが伝わってくる。加えて、日々の生活の中で地域社会を意識し、その規範を子にも守らせようとする姿勢も垣間見えてくる。

このように保護者が子に高い関心を持ち、また学校や教員を尊重する姿勢を見せる地方の「教育困難校」では、学力は低いことを甘んじて受け入れながら、落ち着いた態度の生徒たちと余裕のある表情の教員が有意義な教育活動を行っていることを目にすることがある。

家庭の教育力を問題にする際には、実際に子どもを育てる教育力だけでなく、学齢期以降には学校と協力し、学校生活を支えるサポート力も重要なファクターとして考えるべきだと思う。このサポート力の背景には、子の成長にとって学校生活は大事なもの、教員はその大事なものにかかわる専門家として尊重されるべきものという考え方がなくてはならない。現時点では、その考えがまだ残っている地方もあるが、しかし、地方の「教育困難校」が急速に都市近郊型の「教育困難校」に変質していることも、残念ながら感じている。ここにも、地方の活力低下が影を落としているのだろう。

朝比奈 なを 教育ジャーナリスト

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あさひな なを / Nao Asahina

筑波大学大学院教育研究科修了。教育学修士。公立高校の地歴・公民科教諭として約20年間勤務し、教科指導、進路指導、高大接続を研究テーマとする。早期退職後、大学非常勤講師、公立教育センターでの教育相談、高校生・保護者対象の講演等幅広い教育活動に従事。おもな著書に『置き去りにされた高校生たち』(学事出版)、『ルポ教育困難校』『教員という仕事』(ともに朝日新書)などがある。

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