強制収容75年、82歳日系人が語る屈辱の記憶

日系米国人が味わった恐怖とは?

 2月17日、第2次世界大戦中の1942年、家族と共に米カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅から、人里離れた同州の砂漠地帯にある日系人収容所に送られたとき、ジョイス・ナカムラ・オカザキさん(写真)はまだ7歳だった。写真は、同州の全米日系人博物館で18日撮影(2017年 ロイター/Lucy Nicholson)

[ニューヨーク 17日 ロイター] - 第2次世界大戦中の1942年、家族と共に米カリフォルニア州ロサンゼルスの自宅から、人里離れた同州の砂漠地帯にある日系人収容所に送られたとき、ジョイス・ナカムラ・オカザキさんはまだ7歳だった。

屈辱の記憶

オカザキさんは、マンザナー強制収容所での簡易ベッドがひしめき合う狭い部屋や、プライバシーのないトイレで感じた恥ずかしい気持ちを思い出すという。

「ナチスドイツのように、私たち日系アメリカ人は強制収容所に入れられた」と82歳のオカザキさんは語る。

収容された日系人が殺されたり、拷問されたりすることはなかったと認めるオカザキさんだが、「有刺鉄線のフェンスに近づけば、常に危険にさらされる状況だった」と話す。

75年前の2月19日、当時のルーズベルト米大統領は日系米国人の強制収容を認める大統領令に署名した。

日系人が敵国の支持者かもしれないという不安から、約12万人の日系人が10カ所の収容所に送られた。これより3カ月前、日本は米ハワイ州真珠湾に奇襲攻撃を行い、米国は第2次世界大戦に参戦していた。

当時の写真は、追放と自由の喪失を映しだしている。ジャケットやネクタイを着用しきちんとした身なりの男性たちが、道路でかばんや袋をかたわらに列をなし、収容所に向かおうとしている姿や、赤ちゃんを抱いた母親が荷物の上に座っている様子、また埃っぽい荒れ果てた収容所がカメラに収められている。

日系人強制収容から75年を記念するため、首都ワシントンのスミソニアン国立アメリカ歴史博物館では、当時の写真や資料を展示する1年間の特別展が17日始まった。写真の多くは、アンセル・アダムスやドロシア・ラングといった著名写真家によるものだ。

マンザナー強制収容所で、オカザキさんが姉妹と母親と一緒に写っている写真が米議会図書館のアーカイブに保管されている。

オカザキさんは常に恐怖と隣り合わせだった収容所での生活を思い出し、「有刺鉄線に囲まれ、監視塔には武装した見張りが立っていて恐ろしい」と語った。

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