同性愛カップルが隠れトランプになった事情 行き過ぎた平等の追求が米国を分断した

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弁護士でもあるマイケルさんは、「リベラル寄りの人が考える、行き過ぎた平等や博愛に基づくポリティカルコレクトネスは、ともすると暴力にもつながる」という懸念を示している。彼がこう語る背景には、ワシントン州が2017年の秋までに実施を決定している「性への理解教育」の存在がある。

これは「同性愛者やトランスジェンダーへの人権尊重と平等」の名のもと、日本の小学校1年生にあたる6歳から必須となるプログラムだが、その中には「人の性には多様性があり、表現する自由があることが健康である。そして性別は選べるのだ」という内容が含まれる。マイケルさんは「小学校高学年や、高校生にこうした教育を行うことは重要かもしれない。しかし、まだサンタクロースを純粋に信じるような年齢の無邪気な子どもに、なぜ『性は選べるのだ』ということをわざわざ教える必要があるのか」と反論する。

「同性愛者用のトイレ」は小学校に必要か

私の娘たちが通っている小学校では、校舎の老朽化が進み、建て替えが決定しているのだが、その際に「新校舎において同性愛者用のトイレを設置すべき」という議論が出たことがある。この時に大多数の賛成派の保護者たちを抑え、反対の声を上げた先頭にいたのも、実はマイケルさんたちだった。米国ではトランスジェンダー用のトイレ設置をめぐる議論は多くの州や街で出ているが、娘の学校で議論に上がったのは同性愛者用のトイレを設置すべきかという問題だった。

集まった保護者会のメンバーは30人程度だったが、反対の声を表に出したのは、彼らのほかには私を含め5人しかいなかった。反対派の意見は「単にユニセックスのトイレを設置するだけで事足りる。しかもそれは大人しか使わないトイレだ。わざわざ同性愛者用のトイレを設置し、なにも小学校でその理由を教える必要はないだろう」ということで一致していた。

「この国のリベラルが本当に平等と博愛を重んじるのであれば、すべての同性愛者が年齢的に不適切な子どもにも同性愛の権利を学んでほしいとは願っていないことを理解してほしい」と、マイケルさんたちは言う。同性愛者ではない人たちの一方的な決めつけによって同性愛者が一括りにされることも、ポリティカルコレクトネスという考え方に反しているのではないか、と。

行き過ぎたリベラルも、行き過ぎた保守も、どちらも問題だと個人的には思っているが、トランプ支持に回らざるをえなかった人のなかには、「極端な思考傾向」に傾倒してしまう今の社会の危うさに、懸念をもった人が少なくはないように感じる。

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