外資金融コンサルに戻る必要はない
仕事を離れてゴルフざんまいのアガってしまった人に共通しているのは、顔に昔の精悍さが失われ、年齢をとったように見えることです。こうなると昔の仲間内でも「悠々自適でうらやましいけど、過去の人」といった扱いになります。よほど達観した人でないと本人も焦り始めるものです。
ここからうまく抜けだすのは結構、気合がいります。財産が有る無しにかかわらず、事業を始めたり(飲食業が多いです)、NPOをつくったりと試行錯誤を始めます。なんとかパートナーズというパパママヘッジファンドを始める人も多いですが、現在のようにマーケットがよくなっても、すぐにスジのよいおカネを集めることはなかなか難しいものです。もちろんグレーなおカネはダメ、ゼッタイです。
脇道にそれましたが、おっしゃるとおり、今さら「外資金融・コンサルに頭を下げて」戻る必要はないと思います。Deal Bookのサラリーの記事は気になるでしょうが、「はした金」を求めて中途半端な決断をすると後で後悔します。
金融の世界でデジタルに報酬額だけを求めて生きていくと際限がありません。ヘッジファンドマネジャーには年収1000億円超が何人もいるのをご存じだと思います。これは極端な例ですが、幸福度や充足感は相対的なものだと思います。金融の世界では独立した後に食えなくなってダークサイドに落ちる人がよくいますが、そんな彼らも当局に聴取された後には、「今日は取り調べ時間が短くてよかった」と、相対的な幸福感を享受するものです。
質問者の方もいろいろとご経験されて、そろそろ100%胸を張れるご自身の決断をすべきときだと思います。華やかな生活への未練があるとおっしゃいますが、それは他人の評価や見え方とは関係ないのでしょうか? 本当に充実した仕事で一旗揚げることができたら、それこそが華やかなのではないでしょうか?
社会人デビューの末路
質問者の方は違うと思いますが、勉強して有名大学を出て、たまたま稼げる職業に就くことができ、社会人デビューしてしまった人はいるものです。投資銀行やコンサルを経由して有名外資系ファンドに行ったような人が典型だと思いますが、合コンでグローバルに超有名なファンドの名前を繰り返し女子大生に言い聞かせても、なかなか覚えてはもらえません。彼女らにとって「きゃりーどいんたれすと」より「きゃりーぱみゅぱみゅ」のほうが親和性は高いものです。年齢を重ねてそんな日常を続けると、遅咲きは狂い咲きと言われ、だんだんみっともない大人になってしまいます。
古くから「起きて半畳寝て一畳、天下取っても二合半」という言葉もあります。そろそろ他人の評価(含む偏差値)や物質的なぜいたくではなく、自分が死んだときにお墓に何と書いてほしいかを考えてはいかがでしょうか? 「金銭的にも恵まれ、華やかな生活を送った順風満帆なキャリアの悩める男、ここに死す」でよいのでしょうか? 人間は死亡率100%です。明日、死ぬかもしれないので、ぜひ、お考えいただきたいところです。
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