リニアと新幹線を結ぶ?「相模線」の可能性 実はJR東日本発足後の乗車人員増加率1位!

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西寒川支線の代替的な役割を担う神奈中バスの茅53系統(筆者撮影)

サトウマコト著『JR相模線物語―相模鉄道がルーツ、砂利鉄と呼ばれ80年』(230クラブ、2000年)および『相鉄グループ2016-2017要覧』によると、相模線の歴史は1915年4月7日の「相模軽便鉄道」の発起人会開催に始まる。1917年12月18日の創立総会の開催と翌1918年1月4日の設立登記によって相模鉄道株式会社が成立。1921年9月28日、相模鉄道による私鉄線として茅ヶ崎駅-寒川駅間および寒川駅-川寒川駅間の「砂利支線」が開業した(「砂利支線」は1931年11月1日廃止)。

開業当初の運賃収入は旅客1:貨物4の割合で、貨物輸送の殆どが砂利輸送だったという。その後、1931年4月29日に橋本駅までの全線が開業した。

1943年4月1日に現在の相模鉄道(相鉄)本線となる横浜駅-海老名駅間を運営する神中鉄道を吸収合併し、相模鉄道相模線となる。その後1944年6月1日に、相模線は国有化される。一方、旧神中鉄道の区間は相模鉄道として残留することになった。

戦後は相模川での砂利採取制限が行われるにつれて、相模線の砂利輸送は衰退することになる。JR東日本横浜支社総務部総務課広報室(以下、JR横浜支社広報室)によると、砂利採取が禁止となった1964年頃に砂利輸送が終了したという。

西寒川支線の廃線跡(筆者撮影)

砂利輸送終了後、相模線の輸送は旅客中心にシフトする。そして、1984年4月1日の西寒川支線廃止、1987年4月1日の国鉄分割民営化直前の3月21日の海老名駅開業を経てすぐにJR東日本に継承され、1991年3月16日に電化を果たした。現在では、平日の朝夕を中心に通勤・通学利用などで賑わっている。なお、米軍燃料貨物輸送は国鉄分割民営化後も存続し、1999年12月4日のダイヤ改正で廃止されるまで続いた。

通過人員の伸び率はJR東日本トップ

JR東日本ホームページで公表されている「路線別平均通過人員の推移」によると、2015年度の相模線の平均通過人員は28,176人とJR発足初年度の1987年度の9,268人と比べて304%をマークし、2位の京葉線の247%に大差を付けてJR東日本の全路線中トップとなっている。特に電化後の1992年度に急激な伸びを示している。

相模線の平均通過人員(乗車人員)増加に大きく貢献しているのは、海老名駅の存在である。

海老名駅は、小田急電鉄(小田急)小田原線で新宿・大手町、および相模鉄道(相鉄)本線で横浜へ直結している。さらに相鉄本線・JR東海道本線(貨物線)・東京急行電鉄(東急)東横線を連絡する「神奈川東部方面線」が開業すると、新横浜と渋谷も乗り換えなしで結ばれることになる。こうした好立地を生かして海老名駅の拠点性をさらに高めるために、駅周辺開発が勢力的に進められた。

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